第215回健康歩こう会4月例会     「こんな鎌倉も? ご存知?」を実施しました。

鎌倉と言えば皆さん「大仏様」「鶴ヶ岡八幡宮」「小町通り」を連想されますよね。「 大船」が鎌倉市の一部だったなんて今回初めて知った方も多かった様です。
今日はそれとなく通り過ごしておりました「鎌倉市大船地区」を歩きました。
開催日:平成30年4月21日(土)天気:快晴

初夏を思わせる快晴に恵まれた中30名の会員が「大船駅」に集まりました。
会長の挨拶で先日開催された総会の内容や歩こう会実施日の変更などの説明があり、次いでコースリーダーの有田幹事より本日のコース概要の説明がありました。

大船駅はホームが鎌倉市と横浜市栄区に跨っており、駅長舎が鎌倉側にある為鎌倉の駅として登録されています。

そのホームから見上げると本日の最初の目的地「大船観音寺」の観音様が優雅で穏やかなお顔をチラッとのぞかせています。

大船観音寺】参道のやや急な坂道を登り切ると境内に入り、観音様に通じる階段が現れます。登り切ると面前に慈悲深くまた 穏やかなお顔の観音様が迎えて 呉れました。
高さ25mもあり、 鎌倉大仏の11m、奈良の大仏18mを凌いでいます。本来は立像を予定しましたが地盤が弱くお座りのお姿になりました。お立ちになる時が来るのでしょうか?との質問の声(笑)が参加者から聞こえてきましたが、不明です、あるのかな(笑)と お答えしました。 皆さん参拝後茶屋でしばしの休息を取っておりました。

観音様を後にした一行は次の訪問地「玉泉寺」を目指して進みました。

玉泉寺】元和2年(1616)創建の古刹で不動明王を本尊としており、 境内には7つの願いを叶て呉れる「六地蔵とよくばり地蔵」が安置されています。
皆さんどんな「お願い!」をしたんでしょうか?

次に向かう先は今回のメインポイントの一つ「龍宝寺」です。

【龍宝寺】は玉縄城主3代目の北条綱成が文亀3年(1503)に裏山に建てた「端光院」を前身とし6代まで続いた北条氏の菩提寺です。6代目氏勝が4代目の氏繁を弔う為に現在地に移し「大応寺」とし、その後僧良達が「龍宝寺」と改めました。境内には北条氏を偲ばせる「供養塔」や玉縄北条氏の資料・玉縄城の立体模型や古民具が展示された「玉縄ふるさと館」、後北条時代に建てられた「旧石井家住宅」、江戸時代中期享保11年(1728)建立の「新井白石碑」等がありました。
境内には幼稚園もありましたが今日は土曜日、園児の姿はありませんでした。

しばしの休憩の後、北条時代小田原城や鎌倉を守るために作られた出城、80年間一度も落城したことの無い堅城で、あの上杉謙信に「この城当国無双の名城なり」と言わしめた「玉縄城」に向かいます。と言っても残念ながら徳川政権下の「一国一城」政策によって廃城となり、現在では有名女子高やマンション群が建って昔の面影は殆ど僅かしか残っていませんが、案内板で偲ぶことが出来ました。

龍宝寺を後にした一行は途中趣の有る「小坂家長屋門」を観ながら案内板に従って七曲坂から大手門方向へと進みます。
本日一番の上り坂?、昔の攻め手を思いながら「どんな坂、こんな坂」と城攻めに向かいます。多くの方が息を切らしておりましたが何とか「太鼓楼跡」に到着。

ここで「玉縄ふるさと館」に有った玉縄城の立体模型を思い出しながら、ここがどの位置か議論が沸騰しておりました。しばらく住宅街を進むと「大手門跡」の案内板が出て来ました。現在の女子高のテニスコート付近にあったと言われています。残念ながら今は特別の許可が無い限り入ることが出来ません。 皆で案内板を覗きこんでいましたら入口お隣の方が写真を持って来て、昔の航空写真で城跡の様子を説明して呉れました。 何代もこの地に住んでおられるとのことでした。
想像力が最大限に求められる城址巡りでしたが参加者は どんな昔のお城の姿を作り上げたのでしょうか?

今日は陽射しも強く暑かった為予定コースを変更し、来た道を引き返して次の
もう一つのポイント「大船フラワーセンター」へと歩を進めました。

大船フラワーセンターは、正式名を「日比谷花壇 大船フラワーセンター」としてこの4月にリニューアルオープンしたばかりです。
大船フラワーセンターは昭和37年に神奈川県農業試験場跡地に観賞植物の生産振興と花卉園芸の普及の為に開設されました。「シャクヤク」「ハナショウブ」「バラ」「シャクナゲ」等が改良・育成・収集され現在では3000品種余りが四季折々の彩りを演出しています。
春の花々をご覧ください。

およそ40分それぞれに園内を散策された皆さんは春の花々を観賞・堪能されました。下見の頃はまだ玉縄桜・チューリップ等がありましたが今はマリーゴールド・藤等が咲き誇っていました。また季節を変えて来るのも楽しいでしょうね。

フラワーセンターを後にした一行は最終地「大船駅」に向かって進みます。
途中に「玉縄首塚」があります。

大永6年(1526)南房総の里見氏が鎌倉を落とそうと進軍して来ました。それを知った玉縄城主北条氏時は大船甘粕氏と渡内福原氏の協力を得て激戦の末里見軍を打ち破り鎌倉を救いました。この合戦で多数の犠牲者が出ましたが、氏時は両軍の戦死者を弔い、郷土を死守した霊を慰め、怨親平等を示し、首塚を作りました。

快晴で初夏を思わせる一日でしたが幸い爽やかな風も少しあって気持ちの良いウォーキングでした。ご参加の皆さん、お疲れ様でした。
駅前で会長から来月5月例会「塩船観音寺から赤塚不二夫会館へ」の案内があり、解散となりました。               (有田記)

【コース地図】ウォーキング

懇親会

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