第228回健康歩こう会5月例会「草加宿の街並みを巡る」の実施報告

健康歩こう会ではテーマを決めて、「参加してよかった、楽しかった、新しい発見があった、知らなかった所に行く事が出来た、感動した、」と思って頂けるコースを選んでいます。
新元号「令和元年」節目の5月例会は埼玉県の草加市を歩きました。草加市は埼玉県南東部に位置する24万人の市です。さいたま市、川口市、川越市、所沢市、越谷市に次いで県内第6位の人口を有する施行時特例市で、南側を東京都足立区と接します。草加松原や草加せんべいで知られています。1958年(昭和33年)市制施行により、草加市と成り、昨年11月1日に60周年を迎えました。

矢立橋(やたてばし)を背景に、5月例会記念集合写真

☆ 特例市(とくれいし)とは、「法定人口が20万人以上」の要件を満たし、政令による特別指定を受けた市のこと。大都市制度の1つで、2015年に制度としては廃止され、廃止時に特例市だった市のうち中核市等に移行しなかった市は施行時特例市と呼ばれ経過措置がとられている。

日光街道第2番目の宿場町、草加せんべいの街、松尾芭蕉像「奥の細道」で有名です。

5月18日(土)開催当日は天候にも恵まれ、絶好の歩こう会日和でした。
東武スカイツリーライン「谷塚駅」改札口に23名の会員の皆さんが参集されました。早速駅前広場で、柿本会長挨拶、本日のコースご案内を行ない、愈々スタートです。

☆ コース見どころ(順路)

「草加煎餅いけだ屋工場」
最初に訪ねたのは、「草加せんべいの老舗工場」です。江戸末期の慶應元年(1865年)に創業。以来150有余年、「本場の草加せんべい」を造り続けて参りました。
市内大手の煎餅店で、せんべいの販売は勿論、生地を作り、他の煎餅店にも販売されています。本格的な専門店です。(一時は草加市内だけで煎餅店は300軒あり、現在も60余軒を誇る一大地場産業と成っています。)
先方の池田会長の歓迎で、早速8名の会員が立候補して「おせんべいの手焼き実感体験」を実施しました。残りの方は工場見学に向かいました。
約20分の持ち時間で3枚ずつ、表裏に何回も返しながら焼きあがって、自己流ながら皆さん熱心に楽しく体験され、出来上がり分を持ち帰られました。
当日は「東武よみうり」の取材もあり、帰路には皆さん店舗に立ち寄り、「草加せんべい」のお土産を購入されました。次に一行は旧日光街道「今様草加宿」に向かいました。少し街道筋を歩いて、「今様・草加宿記念碑」の前に集合しました。

「日光街道第2番目の宿場町:草加宿」
 草加宿はその昔、慶長11年(1606年)江戸幕府直轄領の命を受けた大川図書(おおかわずしょ)が中心となり、それまで大きく東に迂回していた日光街道の千住・越ケ谷間を一直線で結ぶ草加新道を築きました。その後、寛永7年(1630年)千住・越ケ谷の間の宿として草加宿を設けた事に始まりました。江戸時代に栄えた旧日光街道は「今様・草加宿」としてよみがえり、ゆかりの史跡を残しています。
(今様とは「今風、現在視点での」という意味があり、スローライフの視点が盛り込まれています。)
どんどん歩きながら、草加市役所の隣には当時の町屋「浅古家(質屋)」、「藤城家(味噌屋)」の名残りを偲びました。次には…

「旧日光街道本陣跡石碑」
江戸時代に、奥州・日光道中参勤交代の大名休泊地として草加宿の本陣がここに置かれました。
「大川本陣」、「清水本陣」
この本陣には、会津藩、仙台藩、盛岡藩、米沢藩が休泊した記録があります。参勤交代の往復にその役割を発揮しました。続いて草加小学校の校庭を通りながら、歴史民俗資料館へ向かいました.

「歴史民俗資料館」
昭和58年(1983年)、県内初の鉄筋コンクリ―ト造りの草加小学校西校舎を改修しオープン、2つの展示室と2つの収蔵庫、多目的ルームが有ります。土器、せんべいの製造具、民俗資料など郷土の歴史資料や民俗資料が約1600点収蔵、其の内約150点が常設展示されています。
☆ 草加小学校は1923年(大正12年)関東大震災の教訓からして1926年(大正15年)竣工、大川勇が30歳の時、埼玉県内初の鉄筋コンクリート造りでした。
資料館の戸張さんから、冒頭、縄文時代の出土丸木舟から、江戸時代、昭和時代に至る歴史の移り変わりの説明、草加市の成り立ち、大川邸、草加松原、松尾芭蕉等々、最後は様々な展示品を見学し、約30分間、皆で学習出来ました。

「東福寺」
真言宗智山派のお寺で、草加宿の開宿に尽力した大川図書が、慶長11年(1606年)に創建、僧賢宥(けんう)が開山したと伝えられています。本堂・山門・鐘楼とも江戸後期の建造物で、本堂内外陣境の彫刻欄間・山門と鐘楼は市の指定文化財で、「草加八景の一つ」です。
☆ 大川図書は、小田原北条氏へ仕えましたが、1590年落城と成って一時期浪人と成りました。徳川家康の天下統一後、岩槻城主、太田備中守の下で年月を送り、谷塚村に居住し、その後新しい土地を求めて現、松江近辺に移り住み、草加宿や東福寺の建設へ尽力しました。
一行は、本堂にて参拝し、本堂内の彫刻欄間を観賞、最後は草加宿の祖、大川図書のお墓詣りを行なって、次へと移動しました。…

「草加宿神明庵」
草加宿は寛永7年(1630)に人夫25人、駅馬25頭、の伝馬宿に成る。神明庵は久野家の旧店舗建築を市が借りて観光案内(おもてなし)の拠点として活用されています。久野家(大津屋)は街道筋の町屋で飲食店を営んでいた事が記されています。
憩いのお茶をご馳走になり、15分間、草加宿の成り立ちを学習しました。

「おせん公園と曽良像」
江戸時代に日光街道沿いに茶店を出し、団子を商っていたおせんという女性がいました。通り掛かりの武士に団子を乾かし延ばして焼餅にしてはどうかと言われ、作ってみたところ大変な人気となり、それが草加の名物となったと言われております。公園には煎餅に見立てた自然石「草加せんべい発祥の地碑」が建っています。
河合曽良像は市制50周年を記念して、おせん公園に建立されました。松尾芭蕉の門人で奥の細道の旅に随行しました。
☆ 公園内を囲んで、日本橋を基点に日光道中21宿を示した石柱があり、判り易く、皆で学びました。

「松尾芭蕉像」
元禄2年(1689年)3月27日、46歳の松尾芭蕉は門人の曽良を伴い、奥州に向けて江戸深川を旅立ちました。後に日本を代表する紀行文「奥の細道」として結実するこの旅は、日光、白河の関から松島、平泉、象潟(きさかた)、出雲崎、金沢、敦賀と東北・北陸の名所旧跡を巡り、美濃の国大垣に至る600里(2.400Km)、150日間の壮大なものでした。深川を出た芭蕉は千住宿まで船で行き、そこで見送りの人々に別れを告げて歩み始めます。こうして芭蕉は、肩に掛かる荷物の重さに苦しみながら2里8丁(8.8Km)を歩き、日光街道第2の宿駅だった草加に辿り着きました。「奥の細道」の旅は、この後草加から東北へと始まっていく事に成るのです。
松尾芭蕉像は奥の細道旅立ち300年を記念して建立されました。像は右手に杖を持ち、笠をかけ、友人や門弟達との別れを惜しむかのように、千住方面を振り返る「見返りの像」です。
☆ 元禄2年は、時あたかも、西行法師500回忌に当たる年、今の新暦では5月16日のいで立ちでした。奥の細道の大業を果たされ、間もなく5年後の50歳でお亡くなりになりました。
皆さんご存知の…
☆「古池や、蛙飛び込む、水の音。 閑けさや、岩にしみいる、蝉の声」
等が
有名です。

「札場河岸公園」
草加松原南端にある、かっての「河岸」の面影を今に再現する公園です。園内にはかって札場河岸公園の賑わった舟運の河岸場が復元されている他、高さ12.5m(基礎の石垣を含む)の五角形の望楼が建てられています。この最上階からの満開の桜の花見、綾瀬川の流れを眺めながら、昨今は五角形の休憩所(芭蕉庵)も建てられています。
甚左衛門堰:伝右川の二連アーチ型のレンガ造りの水門です。灌漑や増水の時に使用された堰で、現存する堰は明治27年に再築されたもので、埼玉県の指定文化財です。

「正岡子規と高浜虚子句碑」
俳人、明治27年3月、郊外梅花を探る吟行の途次、紀行文、上野根岸から草加を歩き、休息食事を摂られました。その時の1句で、…

 ☆ 正岡子規  : 「梅を見て野を見て行きぬ草加まで」
☆ 高浜虚子  : 「巡礼や草加あたりを帰る雁」

愈々、草加8景の筆頭格、草加松原の絶景に入りました。

「草加松原」
草加松原は、草加市中心部を南北に流れる綾瀬川沿いの松並木です。日光街道の宿場町であった旧草加宿の北側に位置し、一説では天和3年(1683年)の綾瀬川改修時に植えられたと伝えられています。元禄2年(1689年)、松尾芭蕉は「奥の細道」の旅に出ました。日光街道を北上、陸奥(東北地方)への途上に通過した草加宿は「奥の細道」の作品中にも登場します。

「その日やうやう、早加といふ宿に、たどり着きにけり」   松尾芭蕉

江戸時代以降、草加松原は度重なる手入れや補修が行われ、今や長さ1.5Kmもの並木に成長を遂げています。現在634本ある松の中には、江戸時代から残る古木が60本程度存在します。一目見てわかるその姿は幹回りが約2mにも及ぶ複数の老樹を含め、川に沿って線上に延びる並木道は壮観です。今なお「奥の細道」の時代の雰囲気を伝える風致景観とし、平成26年(2014年)3月には国の名勝に指定されています。

「矢立橋」

矢立橋(太鼓型橋)

草加松原遊歩道に2つある太鼓型の橋の1つです。平成6年に建設され、橋名は「奥の細道」の「行く春や鳥啼き魚の目は泪、これを矢立の初めとして…」にちなんで名づけられました。太鼓橋を背景に記念の「集合写真」を撮りました。

「百代橋」

百代橋(太鼓型橋)

同じく、草加松原遊歩道に2つある太鼓型の橋の1つです。昭和61年に建設され、橋名は「奥の細道」の「月日は百代の過客にして…」にちなんで名づけられました。橋の上からの松並木の眺めが良く、絶好のビュースポットとなっています。
愈々最後の文化会館を目指しました。…、

「 草加市文化会館」
1階には「伝統産業展示室」が常設されて、草加の3大地場産業であるせんべい、浴衣染め、皮革の歴史や製造工程の展示紹介をしています。また、地場産品の販売や、せんべいの手焼き体験、クラフト(手工芸、民芸品)体験教室(要予約)なども行っています。
何故、草加で浴衣染めや、皮革業が盛んに成ったのでしょうか?
浴衣染めの起こりは、江戸時代に神田の染め業者が大火事に遭い、工場が焼けて    しまい、染色に必要な水が豊富な草加地域に目をつけて、多くの業者が移って来  ました。昭和時代中頃は盛んでした。
一方、これほどの皮革関連業者が草加に集まったきっかけは昭和10年、東京の三河島から皮革工業が移転したためです。皮革問屋街の浅草に近く、皮革工に適する豊富な水資源に恵まれていた土地を探していた事が発端の様です。
勿論、草加煎餅は、草加は古くから全域が水田地帯で、水が豊富で質の良いうるち米がたくさん取れた事、併せて交通便利な千葉県野田市の醤油が盛んに扱えた事、などの条件が揃って産業の発展に繋がりました。

最後に当会館前で解散式を行いました。会長より挨拶と次回6月例会のご案内と
お誘いがあり、無事に終了しました。参加された会員の皆さん、お疲れ様でした!
一行は、スカイツリーライン獨協大学前駅の方へ向かって帰って行かれました。

ウォーキング風景

懇親会風景

(文書作成) 古澤 律夫    (写真提供) 北村 卓士

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               

         

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください