第236回健康歩こう会1月例会「21世紀の森と広場から小金宿へ」実施報告

令和2年度1月例会、今年の初ウォーキングは千葉県松戸市小金地区を訪ねました。当企画は、前任者千葉県担当の平野さんのコース案を継承し、実施したものです。
標題の通り、小金地区は「江戸時代に栄えた小金宿」、「広大な21世紀の森と広場」が有名です。
➀ 水戸街道「小金宿」は千住宿から数えて3つ目の宿で、徳川御三家の水戸藩に通じる重要な街道の宿として、また近くに幕府の軍馬牧場が在った事などから重要な宿場でした。
➁ 江戸川をはさんで東京都葛飾区と接している松戸市の北部に位置する小金地区に在る「21世紀の森公園」は東京ドーム11個分の広さを持ち、緑豊かな園内は山、林、池、田園など様々な自然に触れ合う事が出来る公園です。

このような松戸市小金地区を皆で楽しく歩きました。

21世紀の森と広場、集合写真(千駄堀池を背景に)

当日の1月25日(土)はお蔭で、午前より陽射しが出て、気温は10℃とまずまずの歩こう会日和りでした。JR武蔵野線「新八柱駅」に29名の皆さんが参集されました。駅前が手狭の為、少し歩いて適当な駐車場広場で開会式です。
冒頭、柿本会長より挨拶、続いてご案内役幹事の古澤よりコースポイントのご紹介、有田幹事よりストレッジ体操を行なって、出発、最初に21世紀の森公園内にある「松戸市立博物館」に向かって歩き始めました。15分くらいで到着しました。

松戸市立博物館
松戸市立博物館は平成5年(1993年)、松戸市政50周年を記念して建設された市営博物館です。昨年度、開館25周年を迎えています。
緑豊かな自然を残した総合公園「21世紀の森と広場」の中にあり、見て・体全体で感じることを基本コンセプトにした感動体験型博物館です。
最初は、博物館の建物の外に野外展示された縄文時代の竪穴住居を見学、3棟復元の中、そのうちの1棟が開放されており手狭な住居内を説明戴きました。炉端で聞く4500年前の暮らし、縄文人の気分に。皆さん実感体験出来て新しい発見と成りました。

博物館に戻って、丁度1階特別室では館蔵資料展「小金城と根木内城」の展覧会開催中です。館内には二つの城に関わる墨書土器や古文書などの遺跡が並び戦国時代を振り返る、往時を偲ばせる展示と成っていました。学芸員の中山さんより、古文書を通しこの二つの城の纏わる説明が有りました。専門的で深堀りの話でした。限られた残り時間で急いで2階に上がって常設展示(総合展示~主題展示)を見学しました。

➀ 歴史的には、根木内城が、戦国時代(1462年)千葉氏・原氏の一族の高城胤忠(たねただ)が築城しました。東側の守りの要で何度も戦火に見舞われました。後の小金城築城の際に廃城と成りました。
➁ 小金城は同じく戦国時代(1537年)三代目の高城胤吉(たねよし)が築城しました。戦国時代下総国西部最大の城郭で政治の中心地でもありましたが、豊臣秀吉の小田原北条攻め(1590年)に遭って、後の1593年廃城と成りました。
JR北小金駅の西と東に、今は歴史公園として残され、その遺跡から市域の戦国時代を振り返ります。次に森を下りながら21世紀の森と広場南口を出て、安蒜家長屋門を訪ねました。

【安蒜家長屋門】(あんびるけながやもん)
長屋門は大名屋敷などに見られる部屋付きの門で,農村部でも村役人など特定の農民にのみ建築が許され盛んに作られました。下総地方西部の長屋門のうちでは、古いものの一つで、棟札から天保11年(1840年)、幕末近くに建築されたことがわかります。また、建築年代、大工名が明確であり、江戸時代末期の建築技術を伝えるものとして貴重なものです。ただ、「安蒜家長屋門」では、民家につき立ち入り禁止の表示があり、中に立ち入る事が出来なかった事が残念でした。
続いて「21世紀の森と広場」ほぼ中央部の「千駄堀池」に集まって集合写真を撮りました。

【21世紀の森と広場】
➀  歴史背景: 昭和40年代から50年代に、当時の松戸市は人口が著しく急増し、都市の基盤整備も追いつかず、生活環境も悪化していく傾向にありました。21世紀に向かって本市の将来像を明確にしておかなければ、取り返しのつかない状態に成ると感じていました。こうした状況の中、本市のほぼ中央に位置するこの千駄堀地区は樹林地に囲まれた谷の入り組む独特な景観を構成しており、谷頭には湧水が多く見られ、植物も豊富で小動物も数多く生息する変化に富んだ地域として存在していました。この地域の持つ固有の自然環境を守り育てていく事自体が市民の生活環境を豊かにし、ここを拠点として松戸市の都市空間が新たに創造されていく事に繋がる。また次代を担う松戸市民にも継承していく責務がある。との認識からこの地を市域全体の核的空間として大規模公園を建設する事を決議致しました。そして21世紀最大の事業として、どんな困難が有っても成し遂げる覚悟で、輝ける未来に希望を抱き「21世紀の森と広場」と命名致しました。その後地権者170余名の協力の下に面積50.5ヘクタールを昭和56年に都市計画事業認可を得て事業に着手し、以来10余年、市制施行50周年を迎えた平成5年の年に開園するに至りました。(松戸市長)
広大な敷地を有する公園:東京ドーム11個分もある大きな公園です。➀ 千駄堀池: 3つの谷津が集まって出来ている人口の池で広さは東京ドーム約1個分の大きさがあり、湧水量は1日約1000トンもある雄大な池です。➁ 光と風の広場:この公園の中で一番大きな芝生の広場で、東京ドーム約1.3個分の広さをもっています。③ 野草園: 丘陵、草原、湿地、水辺などの変化に富んだ自然がまとまって見られる場所です。次に北口方面へ出て小金原・国道6号方面へ向かってのウォーキングです。途中の「貝の花貝塚」に立ち寄りました。

貝の花貝塚】(かいのはなかいづか)
貝の花貝塚は、千葉県松戸市小金原にある縄文時代中期から晩期(約4500~3000年前の集落遺跡)の貝塚。今では貝の花小学校脇の「貝の花公園」(昭和46年に開園貝塚跡)だけで、その丘に巨大な顔のモニュメントが立っています。多分に貝塚から出た土偶を模したもので、貝塚跡の記念碑でした。 
昭和5年(1930年)に、最初の発掘調査が始まって、本格的に行われたのは小金原団地建設に伴う昭和39年(1964年)6月から翌年にかけての松戸市教育委員会及び東京教育大学による調査であり、その緊急性から貝塚全域の一斉調査と成りました。貝塚は中期から後期にかけてはハマグリ・サルボウなど、晩期にはヤマトシジミの貝層が多く、貝層の下から竪穴住居などの遺構も発掘されました。日本で初めて貝塚に伴う集落全体の概要が把握できた貝塚でした。見学終わるや、さらに国道6号方面へ向かって歩き続けました。皆さんお疲れの様子、「テラスモール松戸」に立ち寄ってひと休憩しました。さらに歩きながら左折すると、旧水戸街道に入りました。坂道を登りながら国道6号線を横断すると、愈々小金宿が、かってあった旧水戸街道の旧道筋です。

旅籠玉屋 (はたごたまや)
江戸時代末期に建てられた旅籠「玉屋」が残っており、外観を見ることが可能です。(100年以上を経過して2007年現在も民家として使われている現役建築物であり、内部は公開されていませんが、小学生の見学などで見る事が出来ます)。この街道は旧水戸街道として有名で、成田街道の道筋でもあります。小金宿には旅籠が多く、鈴木家は代々惣右衛門を名乗り、玉屋の屋号で徳川時代後期の旅籠の原型を留めています。当時の小金では他に安蒜家、綿貫、湯浅、芦田、大熊家などが役職に従事していましたが、未だ姓は現存しています。次に、近くの名刹「東漸寺」に辿り着きました。総門から眺めると多くの木々に囲まれた奥長い参道が見られます。

【東漸寺】(とうぜんじ)
東漸寺は、千葉県松戸市小金にある樹齢330有余年の枝垂れ桜で有名な浄土宗の寺院です。文明13年(1481年)、信濃国出身の経譽愚底運公上人(けいよぐていうんこうしょうにん)により、当初、根木内(現在地より1キロ北東)に開創しました。この後約60年後の天文年間(1532年 – 1555年)、現在地に移され、小金城に高城氏が定着した時期と一致します。東漸寺もまた高城氏とともに発展しました。江戸時代初期に関東十八檀林(だんりん)という、浄土宗学問所の1つとされた名刹です。檀林となった東漸寺は、広大な境内を持ち、多くの建物を擁しました。大改修が成就した享保7年(1722年)には本堂、方丈、経蔵(観音堂)、鐘楼、開山堂、正定院、東照宮、鎮守社、山門、大門その他8つの学寮など、20数カ所もの堂宇を擁し、末寺35カ寺を数え、名実ともに大寺院へと発展しました。江戸時代、宿場町であった小金宿は、東漸寺を中心に形成され、近くには今も、旧水戸徳川家の旅館やかっての旅籠「玉屋」跡があって、千葉県で最も歴史のある街の一つとして知られています。明治初頭に、明治天皇によって勅願所(皇室の繁栄無窮を祈願する所)となりました。 江戸時代に幕府の擁護を受けた東漸寺も、廃仏毀釈等で、神殿、開山堂、正定院、浄嘉院、鎮守院などの堂宇を失いました。また、学寮およびその敷地は、地域青少年の育成のために寺子屋として利用され、後に黄金小学校(現・小金小学校)と成りました。見どころ満載の東漸寺ですが、ただ、時間がなくて、お寺の境内に入ることが出来なかった事が残念でした。
愈々ラストで、北小金駅近隣の小金宿モニュメントが在る場所へ一同集まりました。薄暗く成って皆さん、お疲れの様子でした。

小金宿小金宿は、水戸街道千住宿から3つ目の宿場町です。江戸から水戸道中を下り、松戸と安孫子の間の宿場が旧小金宿です。現在の千葉県松戸市小金にあたる。中世において小金城の近くまで迫っていた太日河(ふといかわ・現在の江戸川)河岸からの城下に向かって形成された小金宿を原点として、水戸街道の整備とともに宿場町を形成していったと考えられています。宿場は南北に約1キロ程度の範囲に広がっており、北端で屈曲して東に向きを変えています。屈曲点からは更に北に本土寺への参道が伸びており、追分の石があります。この屈曲点には八坂神社がありました。幕府の軍馬牧場である小金牧の近くに位置しており、重要性も高く、一般大名用の本陣が置かれていたほか、水戸藩は独自に本陣(日暮家)を指定していました。
※ 小金宿観光モニュメント(抜粋分)
小金地域は約3万年前の旧石器時代にはすでに人が住み、約6千年前の縄文時代には当時の人たちが緑豊かな大地で暮らした大きな集落があった事が幸田貝塚から推測されます。今の小金が形成されたのは鎌倉時代から室町時代にかけてであると言われており、特に、鎌倉時代、小金城主であった高城氏支配下のもと、所緑の神社、東漸寺(浄土宗)等が根木内・栗ヶ沢から城周辺に集められました。そしてこの小金地域は歴史上、政治的に重要な役割を担っていました。駅の北は紫陽花寺で有名な鎌倉時代に創建された本土寺や大谷口の高城氏の居城、小金城址が歴史を偲ぶ公園として残っており、南はしだれ桜が有名な徳川家康が定めた関東十八壇林の東漸寺や根木内歴史公園(根木内城址)があり、江戸時代には水戸道中の起点日本橋から数えて四番目の宿場町小金宿が栄え、名のある屋敷跡や旅籠が歴史遺産として点在しています。今日まで小金町は松戸市の中でも歴史文化を大切に継承してゆく思いが色濃く残る地域であって「歴史と花と緑のある街」のイメージを子供から年配の人まで共有し、住んでいる人たちが一つになり魅力ある豊かな街づくりを進めてきました。近年の昭和29年10月に小金町は東葛飾市(現在の柏市)と市境を変更する形で旧小金町の大部分が松戸市に合併して60周年を迎えます。当時の小金町の人口は8千人、現在、平成27年には4万3千人と成りました。ここに記念事業として次世代に向けた伝統の継承を祈念し小金宿観光モニュメントを設立致しました。

ここ、水戸街道道中、小金宿界隈には他に観光名所が見られます。
➀ 長妻家(屋号あめや):小林一茶が宿泊したと言われています。
➁ 一月寺(いちげつでら): 江戸時代、虚無僧寺として知られた普化宗の関東総本山でした。
③ 梅澤家: 江戸時代、京屋と呼ばれた旅館、庭内には「明治天皇小金宿御小休所」と刻まれた石碑が有りました。陸軍演習見学途中に休憩された場所です。
④ 「小金宿本陣跡標柱」: こちらは屋号井筒屋の大塚家本陣があった場所です。
⑤ 「右水戸道中」、「水戸街道」と刻まれた道標が2本、「八坂神社跡地」と刻まれた石碑が1本、「本土寺道」と刻まれた道標、が有ります。
こちらは時間的に夕刻迫って来ましたので残念ですが割愛しました。

小金宿観光モニュメントの前で解散式です。柿本会長より2月例会「イスラム文化に接して見よう」のご案内とお誘い、諸連絡を以って、無事に終了としました。其の後10名の方で懇親会を催しました。今回は小金地区地元の渡部大さんが、特別参加頂き盛り上げて呉れました。

【ウォーキング風景】

【懇親会】

報告書作成: 古澤 律夫

写真提供 :   北村 卓士

以上

 

 

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