第211回 赤穂浪士討ち入り後を歩く

赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入り、目指す吉良上野介の首を打ち取ったのが12月14日(旧暦)だったことから数多くの映画・テレビドラマ・芝居などが12月に集中して上映されてきました。歩こう会12月例会は、12月16日の第3土曜日に実施しましたが、江戸時代の一日は夜明け時刻から始まりましたので、12月14日と言っても今の感覚から言えば12月15日の夜明け前ということになります。参加者一同赤穂浪士になりきろうと、赤穂浪士たちの足跡をたどってみるウォーキングです。

冬ばれの一日、JR錦糸町駅前に会員40名が集合しました。

まず向かったのは、京葉道路に面した「両国高校前」です。ここは、赤穂浅野藩の下屋敷があったところで、松之廊下の事件の後、幕府から接収されず、上屋敷の家財道具などを一時的に運び入れていたそうです。なおこの下屋敷は、内匠頭の弟、浅野大学が閉門を許された際に、大学の下屋敷として幕府から与えられています。

次に向かったのは、「時の鐘跡」です。今はミニチュアの鐘が象徴的に作られていますが、当時は大きなやぐらを組んだものでした。江戸の町には

時の鐘のミニチュア

14~15の時の鐘があったそうで、鐘の音を聞いて時刻を知った庶民の生活が思われます。この場所の近くに吉良邸の動静を探るため、赤穂浪士が潜伏していましたので、彼らもこの場所の時の鐘の音を聞きながら生活・活動していたことでしょう。

 

 

次に向かったのは、「堀部安兵衛道場跡」です。今は安兵衛公園として整備されていますが、浪士の一人堀部安兵衛はこの地に道場を開いていました。討ち入りのための武具などをひそかにこの場所に集めましたし、討ち入り当日は、皆ここに集合して、着替えるなど最後の準備を整えました。まさにこの場所が、吉良邸討ち入りのスタート地でした。

吉良邸跡の一部の公園

約1Km先の「吉良邸」までは15分くらいの道りです。深夜4時ごろに討ち入りを開始しましたが、寒い冬の深夜、全員本懐を遂げることを胸に秘めながら歩いたことでしょう。万が一、怪しまれたら「我々は火消しでござる」が言い訳の言葉として決めていました。今は、「本所松坂公園」として吉良邸の86分の1くらいの面積しかありませんが、吉良邸は2550坪を超える広大な敷地でした。赤穂浪士側の完全な作戦勝ちで吉良側を圧倒しましたが、肝心の上野介の姿が見当たりません。ほうぼう探し回った後、最終的にまだ調べていない炭部屋を発見したところ、ここから討って出てきた者がありこの者は即座に打ち取りましたが、まだ中に人がいる気配がありました。この者を打ち取ったらこれが上野介であることがわかりました。ついに本懐を遂げた瞬間です。討ち入り開始から1時間半~2時間足らずといわれています。討ちとった上野介の首は、泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に供えるため、持ち帰りましたが、吉良の遺体は、高家であるから粗末にしてはいけないと、きちんと夜具布団に安置したとのことです。浪士たちは、火災にならないよう、明かりとしていた火の元を集めて、水をかけて消火した後、吉良邸を後にしました。

 

吉良邸の西隣にある回向院で休憩と体制固めをしようとしましたが、回向院から入山を断られて、浪士たちはやむなく両国橋のたもとでしばし休憩をしました。このあと、泉岳寺を目指して歩くわけですが、当日12月15日は江戸城総登城の日だったことや、浅野家の上屋敷があった場所の前を通りたかったことなどのため、両国橋を渡らずに当時一番下流にあった永代橋を渡ることにしました。我々は、時間短縮のため、両国駅から門前仲町駅まで地下鉄を利用しました。

永代橋のたもとに「ちくま味噌」があります。この主人は、赤穂浪士の一人大高源吾と俳句の仲間だったことで、この店の前を通りかかった赤穂浪士たちを店に招き入れて甘酒粥をふるまったといわれています。我々一行は、ちくま味噌の前にある石碑を見た後、永代橋を渡り新川公園でしばらく休憩しました。

浅野内匠頭邸の石碑

新川公園で休憩した後、一行は聖路加病院に向かいます。現在の聖路加病院のあるあたりが赤穂浅野家の上屋敷があった場所です。討ち入りした時にはすでに浅野家の上屋敷ではありませんが、主君内匠頭が過ごした場所を見ておきたかったのでしょう。今は都指定の史跡となっておりこの場所に赤穂浅野家の屋敷があったことを示す石碑があるのみです。

すぐ

築地本願寺の間真六の供養塔

近くに築地本願寺があります。ここには赤穂浪士の一人、間真六の供養塔があります。赤穂浪士たちが切腹をした後、真六の義兄が遺体を引き取り、菩提寺の西本願寺に埋葬したので、彼の供養塔がこの地に作られたといわれています。一行はこの後、再び地下鉄で泉岳寺に行くため東銀座駅に向かいます。

 

赤穂浪士の墓

泉岳寺に到着して、山門前で集合写真を撮った後、泉岳寺参拝の前に、細川家の屋敷跡に向かいます。討ち入りを果たした後浪士たちは、泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に吉良上野介の首を供えて、仇を取ったことを報告をしました。浪士たちは皆男泣きに大泣きをしたと伝えられています。この後浪士たちは4家の大名に預けられることになり、ここ細川家には大石内蔵助をはじめとして17名が預けられました。細川家の屋敷だった場所には彼ら17名が切腹した場所が残されています。
泉岳寺に戻った一行は、赤穂浪士たちの墓前にお参りをしました。5時で閉鎖するとの係の方の声を聴きながら、また日没で暗くなってきた墓前に手を合わせることが出来ました。

12月は例年忘年会を実施してい居ます。近くの中華料理店を貸し切って忘年会を実施し、1年間の実績と来年度の計画などが発表されました。来年度も楽しいコースが準備されておりますが、飲み食べ放題のコースで楽しく懇親することが出来ました。みんな満喫した状態で今年の歩こう会はお開きです。来年もよい年になることをお互いに誓いあいながら別れました。

ウォーキング風景

ちょっと一息

地下鉄での移動

忘年会風景(懇親会)

コースマップ

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