文学青年私記 ⑬  

四季酩酊 第93回

 茅ヶ崎時代(壱)ゲンさんと土屋五郎

                 酒坊

入社1年で東京から函館に転勤し、23歳で結婚、娘も生まれ、永住の気持ちになった7年目に茅ヶ崎への辞令がでた。昭和45年(1970年)4月15日、横殴りの雪と先輩同輩に送られて、小さな車をフェリーに乗せて内地に帰ってきた。27歳になっていた。

茅ヶ崎営業所は一戸建ての平屋の普通の住宅だったのには驚いたが、それよりも、「F無線だけどすぐ修理に行ってくれ」「誰も居ないので、今すぐには行けません」「お前が居るだろう」「無理です」それから間もなく電話の主が現れた。顔とガタイを見てビ%e3%82%b2%e3%83%b3%e3%82%b4%e3%83%ad%e3%82%a6ビッたが、社屋の庭先でやり合った。このような男が販売店にいるのを聞かされていない。しかし、この事で親しくなってゲンさんと呼ぶようになった。他の人が「ゲンさん」と呼ぶと怒った。本人はそのことを知っていたのだろう、体躯がまるでゲンゴロウにピッタリなのだ。オマケに日焼けの肌と目が大きく丸い。ゲンさんの家に泊ったこともある。

私たちは友達になった。「山口組にいた戦後間もなく、相手を簀巻きにして日本刀でブスブス刺した」という過去も話してくれた。彼の運転の軽トラで修理に出掛けた時、細い道でぶつかりそうになった相手の車を追いかける。交差点で止まった運転手を引きずりおろして、ボコボコにして戻ってきた。怖い人だった。月販の集金担当が元刑事で二人は気が合った。強烈な印象の人である。

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土屋五郎詩集

翌年、天理研修所で大阪のOさんを知った。土屋五郎のペンネームで「銀河詩手帖」「地帯」に詩を載せ、「さむさむ」という詩集も出していた。高校を卒業して佐賀の電気屋で働き、20歳過ぎて大阪に行き、わが社に入社した。彼の詩は故郷の豊後高田と西成の人々が主人公だ。昭和48年(1973年)の1月に新宿の紀伊国屋ホールで再会した。「銀河詩手帖フェステバル」で自作自演詩朗読だった。詩人の白石かずこもいた。昭和51年に第2詩集「まぼろしの土と花」を上梓した。会社では可なり上の役まで就いたが、辞めた。辞めて数年後に新しい仕事で相模原に来たとき私の家に誘い、遅くまで呑んだ。

会社を辞めた理由は恐らく酒だと思う。酒のことで彼を唾棄していた下戸の上司から聞いていた。彼の本から推察すると他にもあったような気がする。

とに角、土屋五郎は生涯詩人だったのだ。

シャープに稀有な人間詩人  酒坊