東日本大震災体験談

5838 菅原澄男


 東日本大震災から8年が過ぎましたが、シャープ仙台ビルでの体験談を投稿させていただきます。
2011年3月11日、私はシャープ仙台ビルの2階事務所で仕事をしていましたが14時40分頃福井県敦賀の後輩より電話があり、3月9日の地震は大丈夫でしたかとの事。(9日の地震は三陸沖地震で東日本大震災の前震と考えられている)私は埼玉の日赤病院に検査のため行っていて少し長い横揺れだったと話していると、14時46分に突然大きな揺れが襲ってきた。地震の話をしている時に地震がきて、それが東日本大震災の始まりだった。電話を切り、床に這いつくばったが、凄い揺れで身動きが取れず、しかも時間の長いこと、ダメかと思いました。地震がおさまり振り返ると女性事務員はきちっとヘルメットをかぶっていた。さすがだ!(私は無防備、情けない)その後、中庭へ避難したが、かなりの雪が降ってきてとても寒く社有車へ避難、その後も強い余震が続いた。帰れる人は帰路についた。社内のマルチ回線はしばらくつながっていたが、それもダメになった。ライフラインもダウンしており全体状況がつかめず、まさか津波がきているとは全く知らなかった。
単身赴任マンションのエレベーターも止まり10階の部屋は給湯器が倒れ住める状況になく、やむなく社有車に社員3人で寝泊まりする羽目になってしまった。
(11~13日の3日間)車での寝泊まりは他にもいたが、1~2日でガソリン切れでアウト、ところが社有車は3日間ガソリンもあまり減らず大丈夫だった。車がトヨタのプリウス(ハイブリッド車)だったのでバッテリーの充電が必要になるとエンジンが始動し、充足するとエンジンが止まるためガソリンがあまり減らず持ちこたえられた様だ。プリウスの素晴らしさを痛感した次第であった。災害時の車はハイブリッド車がおすすめです。(大震災後、車の電源利用が見直された)
 余談ですが3月11、12日の夜空は真っ暗闇の中、満天の星空で、こんな綺麗な星空は何十年も見たことがなかったです。
震災2日後の13日から14日、18日、19日、20日、その後も救援物資がトラックで続々と届くようになりました。飲料、食料、衣類、寝具、燃料、電源類、自転車、衛生関連、食器、簡易トイレ等雑貨類、その他にも要望したものはほとんど届きました。素早い対応でシャープの素晴らしさを再認識、実感しました。仙台の社友会の皆さん、取引先、下請け企業等にも配ることができ皆さんから大変感謝されうれしい限りでした。
 しかしながら課題もありました。災害対策本部がシャープ本体と、販社にもでき、それぞれの立場で報告と対応を求められ、現場は混乱しているのに大変な思いをしました。レベルは違えど福島原発事故の現場、政府、東京電力のやり取りをテレビで見ていて現場の大変さを痛感してました。
 福島原発事故での福島エリアでのサポート等、書きたいことはまだありますが、次の機会とさせていただきます。

東日本大震災体験談 への3件のコメント

  1. 菅原澄男

    震災後の悲しくつらかった出来事は社員の家族がなくなった事、家を流され住むところがなくなった社員、津波で多数の人が亡くなったこと、
    毎年3月11日には、ある方に電話し元気でおられることを確認し安堵しております。追加でコメントさせて頂きます。

    返信

  2. 吉岡亨

    菅原様
    いつもお世話になっております。東日本大震災の貴重なご体験談を拝読し、当時の大変な状況が手に取るようにわかりました。突然の大震災の真っただ中に身をおかれた様子がリアルに伝わってきました。文面に残せない辛いご体験も多数おありだったと思います。
    首都圏大規模地震や南海トラフ地震が、いつ起きても不思議でない状況の中、是非とも貴重なご体験をなんらかのかたちで教訓として整理し、世の中に発信されるのはいかがでしょうか? そのために必要なことがありましたら微力ながら私の方も全力で取り組まさせていただきます。

    返信

    1. 菅原澄男

      吉岡さん
      ありがとうございます。今回は思いつくまま書きましたが、体験した中での気づきを整理してみたいと思います。
      また相談にのってください。

      返信

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