初めての転勤と赴任地・旭川

1654 森野 敏男


〇中々赴任地を言わない上司
 入社2年目の1964年は、テレビ需要が一巡し業界は不況で、会社もシャープの出先と代理店を一元化して販売会社を設立、管理責任者が必要になる時期であった。
1965年1月末に突然部長・課長に応接室に呼び出され転勤を命ぜられた。部長は販売会社管理責任者の使命・留意点等転勤心得を話されたが中々肝心の赴任地の話が出て来ない。
私の方から「一体何処へ行くのでしょうか」と尋ねた所「誠に言いにくいが2月16日付けで旭川へ行ってほしい」との事。
課長の方からは「近々結婚予定と聞いているがよく検討する様に」との事で
ある。翌日、実家に帰り、親父に話すと共に妻の実家に連絡をして、地元の「多賀大社」での結婚式日を決め赴任する事になった。
〇兎に角遠かった
 今では旭川へは飛行で2時間余り、且つ、数便あり簡単に行けるが、当時は列車での赴任である。
東京へは前年に開通した新幹線に初めて乗り、東京支店に寄り関支店長に挨拶を済ませ、昼1時上野発の特急「はつかり」に乗る。
東京は冬晴れであったが、盛岡あたりからチラチラとし、夜中の12時に
青森に到着すると雪は降り続いている。石川さゆりの「津軽海峡冬景色」にそのままの景色で、今でもこの歌を聞くと当時を思い出す。「青函連絡船」に乗り、函館からは特急に乗り、札幌支店で着任挨拶を済ませ、旭川に向かう。「あと10分で旭川到着」のアナウンスがあるが車窓は真っ暗で灯り一つ見えず「一体どんな処だろう」と不安になったが、ようやく2日かけての到着。「思えば遠くへ来たものだ」
〇兎に角寒かった
 一番寒い時期に着任した事もあり朝は連日零下20度以下、冷蔵庫の冷凍室が零下18度と聞いた事があるが、兎に角仕事より気候に慣れる事が先決であった。今では何の苦労もなく冬を過ごしているが、旭川の冬は一歩間違えば凍死してしまう寒さとの闘いであった。
〇兎に角広かった
 着任時にシャープ電機の釧路・帯広・北見と合併し、利尻・礼文から知床・根室・襟裳岬までと非常に広範なエリアにて何処へ行くのも宿泊出張であり、冬は列車の遅延は日常的で自然に任せて生きて行くより方法がなかった。
〇体当たりの業務習得
 入社2年目の新米管理責任者であった為その知識・経験はほとんど無く、且つ、当時は業務マニュアルもなく、税務署で税務申告手続き、社会保険事務所・職業安定所(現ハローワーク)で社会保険の資格取得(喪失)手続き、銀行の借り入れ交渉等体当たりで習得して行った。
そして、会社の販売網戦略の「70作戦」が展開される事になり、管理責任者は電化センター設立の法手続き・監査役としての経営指導を余儀なくされ、その知識を習得すると共にそのお陰で販売会社の経営管理のポイントを自然に身につける事が出来た。
〇兎に角一体感のある職場 
 当初は出向社員と本社員、トップと社員の関係が少々ギクシャクしていたが、その後諸々が改善し一体感のある明るい職場になり、職場結婚のカップルが次々に誕生もした。北海道は会員制結婚式が主流にて私自身も発起人となり、仲間の門出に一役担えた懐かしい思い出がある。
そして、定年後「たいせつ会」として年1度のペースで当時の仲間のとの交流を深め、2010年5月には「旭川」で開催された。

〇結びに
   私自身、定年まで販売会社の管理責任者を務めさせて頂きましたが、今でも旭川時代の諸々の経験が大きなプラスになったと実感しています。

初めての転勤と赴任地・旭川 への7件のコメント

  1. 成田征二

    旭川勤務の経験者の方から「お風呂の帰りに、タオルがカチカチに凍るんだ」と聞かされ、どんな所だろうかと想像もできませんでした。
    森野さんは、若い時分に良い体験をされたのですね。と同時に、若い力で会社を回していたのだと痛感しました。
    ここ近年は、交通面・気候面も含めて、それほど遠いという認識はありませんが、新婚早々の厳しい生活が目に浮かびます。 ご苦労様でした!!

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    1. 森野 敏男

      成田 様
      コメントありがとうございます。
      定年までに旭川を振り出しに九州・四国等10回の転勤・異動を経験しました。転勤の希望は一度もした事はありませんが、私自身四男であり人事の方で「転勤項目に◎」を付けていたのかも知れません。
      転勤をした各々の地・職場で多くの方と出会って苦楽を共にし貴重な体験をしましたが、やはり最初の赴任地が一番印象に残っています。

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  2. 成田征二

    写真を拡大して、知った人がいないか探しましたが、森野さん以外は誰も分かりません。
    前列の中央の白髪の人は、若しかして「大開さん」???

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  3. 成田征二

    よーく見たら、2列目の右端の人、西口さん???

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    1. 西口孫一

      成田さん    写真ですが、西口です。その前に石倉さん隣に故穴沢さん(福島)北川さん
              一人置いて女性福島の故後藤さんの奥さん(旧姓篠原代志美さん)です。
              あと3人当時の知人がおります・・・・懐かしいですね?
              旭川に2年勤務して、その後札幌で北洋シャープ出向・札幌シャープ電機・
              北海道シャープ電機と8年間勤務しました。

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  4. 小松唯道

    森野さん素晴らしい記憶力で当時の関係会社の多岐に亘る経理全般を蘇らせて頂き感慨深いです、何故ならば私も1966年11月初旬に当時の「札幌シャープ電機」へ経理担当で赴任致しました。
    ただ違いは赴任地の候補が五ヶ所あった中で札幌は東京以北で最も洗練された都会で女性はミニスカートとブーツで流行の先端地だとTVからの知識?で経理部長・課長にお願いし大阪より赴任致しました。(余り使命が感じられない赴任地の理由でした)
    札幌へ向かう経路は森野さんと変わりなかったです、着任早々吹雪に会い肝を冷やし風邪を引いて寝込んだ苦い経験をしました。
    森野さんの様に「若い時に流した汗はその後は力と成って湧いて来る」そうでその通りになりましたね。
    私の場合は「若い時に流さなかった汗は年を取ると涙と成って出る」その通りでした。
    森野さんも「一病息災」の身ですご自愛され「コスモス会」等でも色々お話しをお聞かせ下さい。

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    1. 森野 敏男

      小松 様
      コメントありがとうございます。
      貴方の場合は札幌希望での転勤で良かったですね。私の場合は転勤は毛頭ありませんでしたが、前任者が結婚を控えておりましたが、兵庫在住の婚約者が旭川行きを拒否をした為私にお鉢が回って来たものです。
      でも「住めば都」実に多くの体験をさせて貰いました。特に冬場の寒さとの闘い(毎週休日には石炭ストーブの煙突掃除、軒下の氷柱落とし)等懐かしい思い出です。

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