第280回例会 「おしゃれな街を散策」実施報告

自由が丘のベニスと言われる LA VITA にて

5月例会は東京でも「おしゃれな街」、「住んでみたい街」として常に上位にランキングされる街、自由が丘を散策しました。「自由が丘がなぜ人気のある街になったのか」を探ろうというウォーキングです。番組は終りましたが、NHK「ブラタモリ」のような、「ブラかきちゃん」といった例会でしょうか。この地域の発展の歴史を探るウォーキングです。おしゃれというにはほど遠い柿本が案内役です。それではブラブラとスタートしましょう。
実施日  24年5月18日(土曜日)
天候   夏のような暑い日となりました
参加者  27名
集合場所 東急東横線・大井町線「自由が丘駅」

自由が丘駅前の 女神像前にて

この地域の歴史概要
大正12年(1923年)に発生した関東大震災がきっかけで東京の西側地域に土地開発が行われ、各鉄道会社が鉄道を引くようになりました。昭和2年(1927年)に東京横浜電鉄東横線(現在の東急東横線)が開通するまではこの地は田畑が広がる農村地帯でした。大地主の栗山久次郎はこの地に駅を作るよう鉄道会社との交渉で「九品仏駅」を設置しました。この年に、自由ヶ丘学園も建設されました。昭和4年(1929年)には、目黒蒲田電鉄二子玉川線(現在の東急大井町線)が開通し、九品仏浄真寺の門前に「九品仏駅」が設置されました。このため、これまでの「九品仏駅」の名前を変更する必要が発生し、電鉄会社はこの地域の名前から「衾(ふすま)駅」にしようと提案しましたが地元住民の総意により「自由ヶ丘駅」と決まりました。
自由ヶ丘学園を作った手塚岸衛の知り合いの舞踊家の石井漠、作家の石川達三や石坂洋次郎、画家の宮本三郎、彫刻家の澤田政廣といった多くの文化人が住むようになってきました。これらの文化人たちは、「自由ヶ丘」が正式な地名になる以前から手紙などに「自由ヶ丘」と記載するようになり自由ヶ丘の名前は徐々に浸透していきました。戦後モンブラン(日本初の、モンブランを製造販売する洋菓子店)が開店するとさらに文化人が集まったことで、「高級志向」の街といった認識をされるようになってきました。駅前広場の整備や女神像の設置、通りの名前をおしゃれな名前に変更する、年間を通して各種のイベントを実施するなど地域の住民が力を合わせて自由ヶ丘地域のイメージを向上させる地道な活動と努力の成果が今の「自由が丘」となりました。昭和40年(1965年)には住居表示が「自由ヶ丘」から「自由が丘」に変更されました。

自由が丘駅前の女神像

女神像の設置
戦後、駅前の復興について話し合いが行われ、駅前広場をつくることに決まりましたが、当時から先進的な考えを持っていた自由ヶ丘の住民たちが将来を見据えた仕掛けをします。
昭和22年(1947)に駅前広場が誕生しましたが、しばらくの間はわずかな植え込みにロータリーがあるだけで、決して立派なものではありませんでした。やがて駅前も商店街としての街並みが整うにつれて、街のシンボルとして外国の広場のように彫像を設けたらどうかという話になり、当時の商店街連合組合の事業として実施することになりました。彫像の制作は地域在住の彫刻家、澤田政廣氏に依頼し完成したのが自由の女神像「あをそら」です。昭和36年(1961)のことでした。以来、自由の女神像は街のシンボルとして、自由ヶ丘の街を見守り続けています。
この時の自由ヶ丘駅前広場整備は、自由ヶ丘住民代表と目黒区が2年余にわたる検討を経て完成したものです。これまでの車優先のロータリーから安心して歩けるように歩道を拡幅し、女神広場も設けました。

女神まつり
女神まつりは、昭和48年(1973)から始まったもので、目黒区などが後援しています。自由が丘では年間を通じて種々のイベントを行っていますが、この「女神まつり」はその中でも最大のイベントで毎年10月体育の日とその前日に開催されます。自由が丘の街のいたるところでさまざまなイベントが繰り広げられ、それぞれのエリアの個性を競い合います。スタンプラリー、大道芸人によるパフォーマンス、ワインコーナー、オープンカフェ、ワゴンセール、あおぞら市、模擬店など、大人から子どもまで、一人でもグループでも誰でも楽しめるイベントが多彩に用意されています。商店街だけでなく、九品仏川緑道や熊野神社境内の緑と調和したイベントもあり、自由が丘の街を散策しながら、見て、聴いて、食べて、飲んで、遊んで楽しめるフェスティバルです。

亀屋万年堂  目黒区自由が丘2-11-5 
昭和13年(1938年)に引地末治が創業。第二次世界大戦のため昭和16年(1941年)から閉店しましたが、終戦後の昭和21年(1946年)に営業を再開しました。亀屋万年堂の代名詞・ナボナは昭和38年(1963年)より発売を開始。ナボナは和菓子職人だった創業者引地末治が欧州に旅行した際、現地の菓子文化に触れ「和菓子の感性を活かしながら、洋菓子の楽しさにあふれた商品を創りたい」という思いから商品化されました。イタリア・ローマにある「ナヴォーナ広場」にちなんで名付けられています。昭和41年(1967年)に王貞治(当時巨人軍選手)をコマーシャルに起用し「ナボナはお菓子のホームラン王です!のフレーズで人気を高め、工場の増設、昭和49年(1974年)には本社を移築するなど躍進を果たしました。平成16年(2004年)に創業者末治の長男、引地良一のあとを受けて3代目社長に就任した国松彰(2011年に会長に就任)は、王の巨人時代の先輩にあたり、巨人軍の主力選手として活躍し、後に二軍監督、コーチなどを歴任した経歴を持っています。創業者末治の娘(2代目良一の兄弟)と結婚したことが縁で王のコマーシャルモデル起用につながりました。 自由が丘総本店は旧店舗が老朽化のため改築工事を経て、平成17年(2015年)4月16日に現在地に新装オープンしました。

九品仏川緑道
「九品仏川緑道」は昭和49年(1974年)九品仏川を暗渠化して造られた緑道です。目黒区と世田谷区の区境を、かつての九品仏川の流れに沿って続いています。緑道沿いにはウコンザクラやソメイヨシノなどの桜のほか、サツキやキンモクセイなどが多数植えられ、散策者の目を楽しませてくれます。自由が丘を代表するようなショッピング通りとなりグリーンストリートとも呼ばれ、オシャレなお花屋さんや喫茶店などもあり素敵な通りにさらに花を添えています。観光やショッピングはもちろん、地元の人のお散歩コースにもなっています。

マリクレール通り
当時「とうきゅう通り」と言われていましたが、自由が丘地区の商業集積の拡大に伴い駅裏という立地から雑多な業種の出店が多数企画されました。そのような動きに危機感を抱いた地元商店主や地主の発案で、当時の中央公論社で発刊予定をしていたフランスの女性ファッション誌「マリ・クレール日本語版」のプロモーションと連動させることを計画し、昭和57年(1982年)11月3日、正式に通りの愛称として採用されました。 このフランスとの連携は、中央公論社及びマリ・クレール・アルバム社の当時のオーナーであったマダム・プルボーの尽力と、当時の在日フランス大使館の協力で可能になりました。毎年5月に、この通りや付近の九品仏川緑道を利用してマリクレール祭りが開催されます。フランスの国旗が多数掲げられ、シャンソンのライブが行われるなど、フランスの祭りを意識した演出がなされています。フランス大使館文化部も、同イベントの後援を行っています。

ウォーターフロント店舗

ウォターフロント  目黒区自由が丘1丁目9−1
自由が丘の新しいランドマークになることを目指してOPENした傘のエンターテイメントビルです。1階から4階まですべてが傘で埋め尽くされた店内には、約500種類、10,000本の傘がずらりと並びます。バラエティに富んだ傘が作り出す独特の世界観を、存分に堪能できる場所です。事前に了解を得ていますので、お店と商品の見学のため買い物タイムとしてしばらく休憩を取りました。参加者の何名かの人が傘を買っておられました。

トモエ学園の記念碑

トモエ学園(窓際のトットちゃんの舞台となった場所)目黒区自由が丘2-27-11
手塚岸衛が自由主義教育を掲げ、1930年(昭和5年)に自由ヶ丘学園を創立。当初、学園は幼稚園、小学校(旧制)、中学校(旧制)から構成されていましたが昭和11年(1936年)に中学校部門は藤田喜作に引き取られて再出発し、幼稚園と小学校は小林宗作が継承してこの場所でトモエ学園としてスタートしました。戦災で小学校が廃止され、次いで幼稚園も廃止されました。同学園出身の黒柳徹子が著したベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』によって、一躍その名が全国に知れ渡りました。この場所にトモエ学園があった記念碑があります。現在は高校部門のみが別の場所に残っています。
著名な出身者
黒柳徹子(タレント、女優)  津島恵子(女優)
池内淳子(女優)  山内泰二(物理学者・研究者)
トモエ学園の跡は「ピーコックストア」になりましたが、2023年10月より「JIYUGAOKA de aone(自由が丘 デュ アオーネ)」となっています。

九品仏(くほんぶつ)浄真寺    世田谷区奥沢7丁目41-3
正式名称は「 九品山 唯在念佛院 淨眞寺(浄真寺) 」
九躰(九品)の阿弥陀佛をご安置している事から「九品仏」として知られています。都心にありながら、まるで京都に来ているかのような本格的な枯山水が見られる浄土宗の寺です。
開山は江戸時代初期の高僧「珂碩(かせき)上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝六年(1678)に奥沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗の経典「観無量寿経」の説相によって諸堂宇を配置し、九躰(九品)の阿弥陀佛像を安置し創建されました。諸堂宇は天保7年(1836)発行の「江戸名所図絵」に描かれている配置とほとんど変わりなく現在に至っています。
元禄の時代より続く二十五菩薩来迎会、通称「おめんかぶり」という伝統行事があります。三年ごとに行われる行事で今年5月5日に行われました。
ここでは、自由に参拝をしていただくことにしました。参加者の多くは九躰の阿弥陀佛が安置されている「上品堂」「中品堂」「下品堂」にお参りされていました。境内の美しい新緑を楽しんだ参加者もいらっしゃいました。

自由ヶ丘学園高校  目黒区自由が丘2-21-1
手塚岸衛が自由主義教育を掲げ、昭和5年(1930年)に創立。当初、学園は幼稚園、小学校(旧制)、中学校(旧制)から構成されていましたが、昭和11年(1936年)に中学校部門は藤田喜作に引き取られて再出発し、「質実剛健の野草的教育」を目標に、青少年の教育に専念することを打ち出しました。幼稚園と小学校は小林宗作が継承してトモエ学園としましたが、戦災で小学校が、次いで幼稚園が廃止されたため、現在は同高校のみが当初から続く自由ヶ丘学園の系譜を守っています。平成6年(1994年)より、校舎及び体育館の建て替え工事、校庭の整備が始まり、平成13年(2001年)度に付属棟をもって完成しました。昭和23年(1948年)、学制改革によって新制の自由ヶ丘学園中学校・高等学校に改編。昭和34年(1959年)度に中学校を休校とし、高等学校のみとなりました。
著名な出身者
舟木一夫(歌手)        小池汪(写真家)
ほか レスリング関係者が多くいます。

ラ・ヴィータ(自由が丘のベニス)  目黒区自由が丘2-8-3
異国情緒たっぷりの商業施設「La Vita」(ラ・ヴィータ)。ヴェネツィアをイメージしたその街並みは、まるでイタリアへ迷い込んでしまったかのよう!そんな素敵なエリアは、ドラマの撮影に使われることもしばしばです。インテリアショップや雑貨店などがあり、開放感たっぷりな雰囲気の中で買い物や観光を楽しむことができます。夜はライトアップされるので、さらに幻想的な世界になります。水路に映る街灯の光がしっとりした世界へと観光客を誘う、自由が丘の人気観光スポットです。
ここで、参加者の多くがソフトクリームを買いたいということですので、休憩タイムを取り、希望者は冷たいものを買っていました。注文を受けてからそれぞれのフレーバーに作り上げるという特別なソフトクリームのようで思いのほか時間がかかったのは予定外でした。買わない人は先に次の熊野神社に向かうことにしました。

熊野神社    目黒区自由が丘1-24-12
自由が丘界隈を代表する神社です。天照大神の母親として有名な伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉之男尊(はやたまのおのみこと)、泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)が祀られており、福徳開運、縁結安産、厄除守護、交通安全などにご利益があります。創建年代は不詳。熊野詣が盛んだった頃、地域の住民が講を作って熊野参りをして本宮の御分霊を拝受して創建したと伝えられます。縁結びや子宝のご利益があり、「恋みくじ」で恋占いをする女性も多く、春は入口の桜が美しく花開きます。境内では、大きなカエルを刺繍した「無事かえるお守り」、「招猫根付お守り」などユニークなお守りも販売。9月の第1日曜日には五穀豊穣を願って「目黒ばやし」で知られる「熊野神社例大祭」が開催されます。 本殿に向かう手前にこの地の大地主であり自由ヶ丘の発展に尽力された「栗山久次郎翁」の銅像がありました。

MONT-BLANC(日本初のモンブランを出した店) 目黒区自由が丘1-29-3 
創業は戦前。最初にお店を開いたのは三谷町。今でいう学芸大学のあたりに店を構えたそうです。戦争が始まり、強制疎開。戦後に再開するにあたって、お店選びに悩んだ末、選んだのはここ自由ヶ丘。今ではスイーツの聖地として、年々お店が増え続けるこの地、当時はこの一帯は文化人、芸術家の方が多い地域ということもあり、舌が肥えている人が多かったのでこの地を選んだそうです。そんなお店の名前「モンブラン」の名前がついた理由は、山登りが好きだった初代社長がシャモニーでモンブランというヨーロッパ最高峰の山を見て、その山に大変惹かれたこともあり、「ぜひ、自分のお店にモンブランという名前をつけたい!」ということで、シャモニー市のふもとのホテル モンブランの支配人にも会いに行って、ちゃんと許可を取り商標登録を取ったとのことです。現在は再開発の工事のため仮店舗で営業中です。仮店舗のため喫茶コーナーが小さくモンブランを試食したいという参加者がいましたが、とても残念そうでした。
ここで、フランス語にもたけた伊東幹事から追加説明がありました。
モンブランとはどのような意味?  MONT は山、BLANC は白いという意味でつまり、白い山という意味だそうです。

この後、自由が丘駅前に設置されている女神像前に戻って本日のウォーキングは終了です。
本日のテーマ「自由が丘がなぜ人気のある街になったのか」の答えは、参加された会員の皆さんがそれぞれに感じ取られたことと思います。鉄道がひかれる前には広い田畑だった場所が東京でも有数の場所になったのは「地元の人が、情熱をもって種々いろいろと仕掛けたこと」を感じた一日でした。

健康歩こう会参加者風景

次回は6月15日(土) 井の頭公園&井の頭文化園を散策します。
伊東幹事が初めてフルコースを案内するというデビューです。ご期待ください。

文章作成  柿本政昭
写真提供  北村卓士
込山弘明
迎居健一
柿本政昭

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください