シャープスペースタウン物語  アイゲッティ編

4049  橋爪静夫


 ”ザウルス”が誕生してから、5年がたち、初代から積み重ねること第五代まできた。この間、通信機能が付いたり、液晶がカラー化して、撮影機能までつくなど進化してきた。新製品を出す度に、評判を呼び、それなりに売れるのだが、しばらくすると売れ行きが落ちるという繰り返しである。購入するのは”リピーター”ばかりで顧客層が広がらないのだ。
 この時期私は、2度目の本社勤務で、情報商品の販促企画の仕事をしていた。新製品のデビュー戦略、実売支援活動が 役割で、30人程スタッフを抱えていたが、ザウルスが一番手こずっていた。
そんな折、奈良に在籍する情報・通信事業を統轄するW副社長が、ふらりと私達の職場に現われ意味不明瞭な話をして帰ったが、間もなく一人の若手社員が指名で呼び出され、奈良の本部でミーティングが行われるようになり、3ヶ月ほどして副社長から、今までの打ち合わせ結果を一枚の『絵』にして提出するように指示を受けたと若手社員から報告があった。
 ミーティングの中身は都度聞いていたので、副社長が喜びそうな壮大な『鳥瞰図』のようなものを想像しながら作って提出したものの、しっくり来ないらしく修正の電話を何度か受け、苦労し乍ら完成させた。
 それは、いつの間にか”ザウルス”  ”メビウス”など情報端末から、テレビ、電子レンジ、冷蔵庫など電化製品まで、幅広く『コンテンツ』をネット配信する、シャープの『ポータルサイト』のようなイメージ図になっていた。(実際、電化システム本部では研究が進んでいた)
 最初の構想は、ザウルスの売れ行きパターンを解消するために、内臓させていた「PIM」などのアプリをすべて外してシンプルなザウルスを廉価でつくり、顧客は必要な「アプリ」だけを「ポータルサイト」から取り込むというものだったが、サイトを運営するのにコストが嵩み、生産事業部(本部)では負担が大きすぎることから、全社の事業にして負担を軽くする狙いが副社長にあったのだろう。
 やがて、会社の最高意思決定会議(経営懇談会)に上程され、W副社長がプレゼンを始めたが、町田社長が首をかしげている。
見かねた、国内営業本部長(K専務)が、オブザーバーとして呼ばれていた私に、合図を送ってきたので、私の描いた『鳥瞰図』でプレゼンの続きをした。
社長は納得した様子でうんうんと頷き、無事終了した。夕刻、宣伝部、デザイン本部、生活ソフトセンターなどの責任者が集められ、副社長から私に立ち上げを担当するよう指名されたのである。だが、別に奈良の事業本部でも立ち上げのプロジェクトが準備されていて調整がつかず、二つの組織が立ち上がることになったが一年後合併した。
 取り敢えず、サービスの名称を決めようということになり、宣伝部、デザイン本部、生活ソフトなどから案が出され、最終『ワンダーランド』と『スペースタウン』に絞られ、「宇宙の街」をイメージする『シャープスペースタウン』に決定した。
組織の名前は「シャープスペースタウン推進センター」と決まり、私のほか、情報システム、通信システム、AVシステムの各生産本部から1名づつの計4名からのスタートだ。
普段から知っている者をメンバーに選んだが、可哀想なのは、今まで一緒に仕事をしていた30名のスタッフ達で、バラバラにされて、新しい職場に散っていった。
このサービスに対応して発売するザウルスのニックネームは”アイゲッティ”(インターネットでコンテンツをゲットする)と付けられてデビューさせることになり、ハードを購入して、最初に現われる”スペースタウンキャラクター”にタッチすると、携帯電話回線経由でスペースタウンのコンテンツ利用会員登録、インターネット接続プロバイダお試しに繋がる仕掛けを施し、小型・軽量にする一方で、当初のコンセプト通り、機能を省いた。
準備を整え1999年3月10日、折りしもNTTドコモ『Iモード』のサービス開始から丁度1ヶ月遅れでサービスがスタートしたのだった。
 ”とらぬたぬきの皮算用”とはよく言ったもので、登録料無料の「コンテンツ利用会員」は増えても、有料のプロバイダ接続会員は一向に増えてゆかない。
お試し期間が過ぎると逃げてしまうのだ。開発予算が無いため、接続サービスは独自立ち上げでなく、大手接続事業者の『IIJ』に「間借り」をしたが、それでも運営費など支払うと赤字で、スペースタウンポータルサイトのほうは、コンテンツの開発費用、運営委託のシャープの関連会社「SBCソフトウェア」への費用支払いなどで大赤字である。
事業計画を立てる際、1年後黒字を目論んだが、ついに黒字化することなく、3年後、私は異動したが、それでも組織は10年続いた。
社長の言われていた、『チャリン、チャリンの世界』(日銭が入り、床下の壺に落ちる音)はついに軌道に乗ることなく、サービスは終了した。

シャープスペースタウン物語  アイゲッティ編 への2件のコメント

  1. 成田征二

    「スペースタウン」の運営は、当時の流れとしては正解だったと思いますが、残念ながら当時のザウルスは、シャープ独自のOSだったため、
    発展性がなく、スタッフの皆様にはご苦労だったようですね。
    パソコンも発展の途上ではOSもバラバラで、PCー98や、MZパソコン、AXパソコン等がスタンダードを狙って競争しましたが、
    マイクロソフト社から「Windows」が発表されて、爆発的に普及が始まったのを思い出します。

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  2. 橋爪静夫

    成田様
    その通りザウルスにはOSの概念が元々無く、電卓の機能に順次必要機能を継ぎ足して行ったものでした。途中でLINAXというOSを採用しましたが互換に苦労したのを思い出します。

    返信

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