第1ブロック第10回イベント「色づく樹々の浜離宮恩賜庭園、水上バスに乗って浅草で忘年会」の開催報告

第1ブロックの第10回イベントは、名勝浜離宮を巡ったあと、水上バスで浅草に移動し忘年会を実施しました。今回のイベントは、浜離宮庭園散策、水上バス、忘年会という三つのおいしい企画です。
実施日    2023年12月6日(水)
集合場所   ゆりかもめ「汐留」駅改札口
参加者数   16名
天候     気持ちの良い快晴(12月とは思えない暖かさでした)

浜離宮庭園は都心に近く何度も訪れたという方も多いと思います。浜離宮恩賜庭園は徳川家康が江戸入りしたころは見渡す限りの芦原でした。この場所に「徳川将軍浜御殿」として整備されました。将軍の遊びの場、憩いの場として整備されましたが、賓客をもてなす場(迎賓館)としても使用された場です。江戸城から近いこともあり、この庭園には宿泊施設はなく、遊びに来た将軍も夕方までには江戸城に帰ったそうです。
当日は、担当幹事から園内の要所を案内しました。説明を聞いた皆さんは「大いに参考になった」との感想をそれぞれ口にしていました。園内の紅葉が進んで一段と華やかな様子が感じられました。写真を撮りたい人もいて、集合時刻を決めて自由散策グループと説明を聞きながら園内を巡るグループに分かれて散策を楽しみました。

以下は主な説明ポイントです。

大手門跡(江戸時代)
庭園の入り口にある大きな石積みが大手門の跡です。石積みを結んでいた渡櫓は関東大震災で残念ながら焼け落ちてしまいました。江戸城の出城としての機能を持っていたこの庭園には、今でも城郭の構造を見ることができます。現在駐車スペースとなているところは「枡形」と言います。枡形をはさんで門を二重に構えることで敵が一気に攻め込んでくるのを防ぎました。4代将軍の弟綱重の子、6代将軍家宣が建てました。

300年の松(江戸時代)
徳川6代将軍家宣の時代に植えたと言われる黒松です。高さ10m、正面の枝張り17.7m、幹回り4.4mあり関東の庭園にある黒松では最大級のものです。
右隣は赤松、黒松を「雄松」と呼ぶのに対して「女松」と呼ばれています。300年の松に比べると木肌や風情の違いがわかります。この雄松の樹形を保つための「みどりつみ」と「もみあげ」があります。「みどりつみ」は春先の4~5月にかけて新芽の2/3くらいの先を指で摘み取ります。「もみあげ」は秋から冬にかけて古い葉をむしります。300年の松の「みどりつみ」には4人掛かりで5日程、「もみあげ」には10日ほどかかります。
300年の松の前で参加者全員の集合写真を撮影しました。

御成(江戸時代)
将軍が江戸城外に出かけることを御成と云います。将軍家の別邸だったころ、此処は浜御殿と呼ばれていました。歴代将軍の中で浜御殿への御成が最も多かったのは11代将軍家斉です。家斉がこの庭園を訪れたときの様子が絵図に残されています、籠が大手門を通り抜け300年の松の前あたりにさしかかったところが描かれています。
 ※11代将軍「徳川家斉」(とくがわいえなり)は、15代に亘って続いた徳川将軍の中で
  最も長い期間、将軍の地位に就いていました。当初は、真面目に政務に取り組んでい
  た徳川家斉でしたが、後世で「大御所時代」と揶揄されるほど自由気ままに、そして
  贅沢三昧に暮らします。浜離宮には在位50年間に248回浜御殿への御成りがあっ
  たとのことで歴代将軍のうち最多でした。
このような徳川家斉の治世は、大奥の最盛期や華やかな町人文化を作り出した反面、幕府財政を破綻させ、江戸幕府崩壊への序章となるのです。

内堀(江戸時代)
300年の松を背に左手に見える水路は、「内堀」です。この庭園には物資が船で運びこまれ此処で陸揚げされました。江戸時代墨田川沿いでは良く見られた風景ですが、当時の石積みの護岸や陸揚げ用の石段は今ではここ浜離宮でしか見ることができません。平成20年に大規模な修復を行った際には、石一つ一つに番号をふって積み直しました。石一つの重さは平均60Kg、クレーンを使い1㎡を修復するのに1日かかりました。江戸時代の職人は自分の力で運んだとのことです。昔の職人さんは技量だけでなく力も凄かったようです。

延遼館跡(明治時代)
姿の良い松が点在する広い芝生は延遼館跡です。延遼館とは、遠来の客を引き寄せる宿舎という意味を表しています。幕末に海軍伝習屯所として建設中だった建物を明治に入り急遽改築した迎賓館です。ここには「アメリカの第18代大統領だったグラント」をはじめ数多くの外国の賓客が滞在しました。華やかな夜会も行われたことでしょう。

象の飼育舎跡(江戸時代)
かつてこの庭園では象が飼育されていました。1728年(享保13年)ベトナムから船で象が長崎に到着。雌雄で夫々1頭。しかし雌が死んだので雄のみが長崎から江戸まで歩いてやってきました。途中、上皇や天皇に会うため、象は従四位という高い位も頂きました。翌年1729年(享保14年)、江戸城で将軍吉宗に会いました。その後、浜御殿で飼われました。しかし飼育に大変お金が掛かり倹約家の吉宗を悩ませたと云います。
この後2つのグループに分かれましたが、園内を一緒に巡るグループは「潮入の池」に架かる「お伝い橋」を渡りながら周辺の景色を満喫しました。その後、当時の鴨場が残っている庚申堂鴨場を見物し狩猟の様子を思い浮かべることも出来ました。
大半を巡ったこの当たりでそろそろ時刻となり、園内の集合場所には時刻通り全員が戻ってきました。次は、水上バスです。浜離宮庭園内にも水上バスの乗り場がありますが、コロナ以後現在も利用されていないとのことで、ゆりかもめ「汐留駅」に戻り、二つ目の駅「日の出」までゆりかもめの旅です。浜離宮庭園からゆりかもめ「汐留駅」まで二つの大きな信号を渡らなければいけないので、水上バスの乗船時刻に間に合うか心配しましたが、参加者皆さんの協力のもと無事に乗船することができました。

日の出から浅草までの水上バスでは隅田川をさかのぼり、多くの橋をくぐり進んでゆきました。橋と船がぶつかるのではないかと思うくらい接近しての運行でしたが、船は減速することもなく進みます。さすがは、船長さんの慣れた操船技術です。夕日が後ろから追いかけてくる状態でしたが、美しい川旅、船旅を満喫することができました。

日の出から、浅草までの船便が決まった時刻にしかないので、浅草到着したのは午後4時頃でした。予約した忘年会の居酒屋(はなの舞)に行くのは少し時間が早いので、ここで再び自由行動の時間となりました。

浅草寺にお参りする人などもいたそうですが、幹事が、ミニ散歩の希望者をご案内しました。浅草からスカイツリータウンへの最短の道として作られた「隅田川スカイウォーク」の散歩です。東武スカイツリー線の鉄橋に沿った歩行者専用の橋ですが「こんな橋があったことを知らなかった」「床に透明なガラスがあり、下が見通せた」「どこかにソラカラちゃんがいるとのことだったが、みつからなかった」などと橋を渡ることを楽しみました。

忘年会会場前に集合した一行は、予定の5時少し前に忘年会会場に入り、楽しく今年1年の思いをそれぞれ話し合い、良い1年の締めくくりとなりました。

文章作成  柿本 政昭
写真撮影  込山 弘明
      広田 彰夫
      臼井 輝一郎
      柿本 政昭

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