文学青年私記⑯

四季酩酊 第96回

  横浜時代(二) 神奈川新聞に入選

酒坊

1977年(昭和52年)6月(34歳)に書いた「石の庭」という短編(15枚)が神奈川新聞社の第7回文芸コンクールに入選した。一位を逃したが賞金1万円を手にし、新聞半ページに掲載された。最終選考の選者の佐江衆一氏の選後評には、『小説作りのうまさでは上原稔氏「石の庭」が抜群だが、技巧に頼った感があり、少女を見る作者に気負いがある。』
「石の庭」は、『五月末の曇空の東山南禅院の庭に少女がひとりいた。方丈の濡れ縁に腰を下ろし、人の気配にも表情を変えないその少女を吉国は東福寺開山堂前の枯山水でもみていた。少女の前を通り抜け・・・』で始まる。妻子ある男が少女と恋仲になり、男は自殺するという筋書きだ。
表彰式の後の懇談会で佐江氏と言葉を交わすことができた。
翌年の3月、佐江氏も参加するからと葉山の一泊の文学懇親会に誘われた。佐江氏は既に5回も芥川賞の候補になり、純文学を知る者には有名だった。その後、足尾銅山鉱毒事件を取り上げた「洪水を歩む 田中正造の現在」を刊行し、時代物(彼は古武道杖術師範 ・剣道5段)などを書きながら老親介護の体験を描いた「黄落」がベストセラーになっている。食物を摂らずに餓死を選ぶ老親の穏やかな凄まじさには涙して読んだ。
佐江氏に白状した。
「僕は立原正秋の文章の上手さに憧れています」
静謐で勁い作家の全作品を読んでいる。「薪能」「剣ケ崎」が芥川賞候補、「漆の花」が直木賞候補になり、「白い罌粟」で直木賞作家になった。本人も「純文学と大衆文学の両刀使い」と称していた。「薪能」を読んだ秋に、鎌倉宮へ薪能を観に行ったほどだ。
佐江氏は言った。
「誰かに似ていると思ったが、立原でしたか。納得しました」
立原正秋と佐江衆一は若い時に『犀』と言う同人誌で一緒だった。立原が中心人物だったが、この同人誌からは芥川賞に高井有一・岡松和夫、太宰治賞に加賀乙彦を輩出し、後藤明生に佐江衆一というそうそうたる作家集団だった。私は佐江氏に立原のことや犀の時代の文学の熱気を聞いていた。
可なり遅くまで呑んだ。そして、泥酔して醜態をやらかし佐江衆一氏の前に二度と顔を出せないようになった。

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