はかま満緒の、

四季酩酊 第70回

酒坊

2月16日、はかま満緒が心不全で亡くなった。78歳だった。個人的な知り合いではないが、私にとっては忘れることのできない時代の人である。

四季酩酊第12回「有名人ちょこっと交歓」を引用する。『新宿に住む放送作家のはかま満緒の狭いアパートにステレオの修理に行くと、いつも若者がたむろしていた。今では名を成した人もそこには居たであろう』彼は、慶応大学を中退してラジオ東京に入社したが、2年後にフリーになった。私があった頃は林家三平のギャグや「シャボン玉ホリデー」の構成を手掛けていたころで、弱冠24,5歳の頃である。

私は昭和37年に入社して大阪で2か月の新入社員教育を終え、5月に東京に赴任した。翌年3月、函館に転勤するまでの10ヶ月間に貴重な体験をした。

「毒消しゃいらんかね」「田舎のバス」「僕は特急の機関士で」などのヒット曲のある、三木鶏郎の事務所「冗談工房」へは石油ストーブの修理に行った。たしか四ツ谷だったと思う。鶏郎は原稿を書いていた。修理が終わって「反故の原稿でも欲しいのですが」図々しいにも程がある。しかし、言ってみるものである。写真のような「長崎カステーラの歌」のCМソングの原稿をいただいた。

同じ三木つながりで、三木のり平も印象深い。「シャープ火曜劇場」(1961.8.29~1963.4.9:20:00~21:00)のゴールデンタイムの番組でのり平が『シャープのテレビはいいテレビ。9万9千8百円』と生コマーシャルをした。CМに起用された関係で、のり平の家にはシャープ製品が揃っていた。勝手口の大きなゴミ箱に「田沼」と書かれていたのが懐かしい。本名が田沼則子(たぬまただし)なのを知った。

その他、講談師の一龍齋貞鳳や東京少年少女合唱隊の指揮者長谷川新一、大毎オリオンズの山内一弘などにお邪魔した。

はかま満緒の一室は若者の梁山泊のようだったが、結婚してからも自宅に「はかまお笑い塾」を作り、萩本欽一、車だん吉、市川森一などを世に出している。

良い時代だった。サービス員には技士や技士補の手当てがあった。故障しても怒られるどころか道路に出て待ってる家庭もある。技術者はお給料が高いのでしょう、と言われたりもした。今のサービス員に待っているのはお小言である。隔世の感がある。(文中敬称略)

はかま満緒の、修理する  酒坊

 

 

「はかま満緒の、」への2件のフィードバック

  1. 酒坊さんの経験談を、羨ましく拝見しました。
    はかま満緒といえば、私の記憶では「おお~いどうしたんだい!! 二日酔いなのかい」のコマーシャルではなかったでしょうか? (パントを飲んで、明日も頑張ろう)
    それにしても、「三木鶏郎」や「三木のり平」が出てきて、懐かしく昭和の想い出に浸っています。
    三木鶏郎の冗談学校(?)は、シャープのラジオにかじりついて、聞いたものです。(因みに、我が家のラジオは、昔からシャープだった)

    1. 成田さん、コメントをありがとうございます。
      18、19歳の若造は物怖じしないものでした。
      私の外勤修理での受け持ちが、文京・新宿・四谷・千代田区と東京のど真ん中だったので、10か月とはいえ、濃密な体験をさせていただきました。
      修理に行くというのは営業と違い、相手から「来てくれ」、ということもありスムーズにその家の中に入れるのです。当時、テレビも洗濯機も冷蔵庫も高価で貴重なものでしたから、よくもてなしてもらいました。
      良い時代でした。

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