-それでも囲碁はおもしろい-
三ツ木栄二
六十の手習いで碁石を握り始めて10年を超えるが、未だ上級者には井目(せいもく・下手が予め盤上に九子置くハンデイ)や六子(ろくし・前同六子を置く)で相手をしてもらっている。老年期に始めたので上達が遅いのは誰でものことだと、自分に言い聞かせてきたが近頃は反省しきりである。
そのわたしが囲碁同好会に入会したのは、定年退職をした平成13年(2001年)のことだ。その年の社友会秋季大懇親会(下部温泉)の帰り道で先輩のAさんに入会の意思を伝えると「教えてやるよ!」と、快く言われたので決めた。現役時代から囲碁を覚えたいと思っていたが、四十代半ばのその機会を逃すと、遠いもののまま定年を迎えた。それで、そのころ購入した『日本棋院の囲碁入門』(昭和6
2年3月20日第12刷発行)は、そのまま自宅の書棚に眠っていた。当時、第4土曜日に開催されていた月例会に初めて出席した11月24日は空あおく、やや肌寒い晩秋らしい陽気だったことを今でも鮮明に覚えている。現役時代に通いなれたJR市ヶ谷駅の改札を久しぶりに通り、交差点を右に折れて急な坂道を上り日本棋院会館の門をくぐった。その日の例会の開催案内を受けたときに場所が日本棋院会館であることに驚いたが、会場が和室の個室で指導碁は大窪プロ九段、山崎アマ八段だったことにも驚いた。一般的な愛好者グループではとても考えられない豪華なものだった。

翌年の2月に入会した友人のTさんは、わたしと同様でしばらく雰囲気負けして、まさに借りてきた猫のような立ち振る舞いだった。当時、会員は20人ほどいて、わたしとTさんのほかは碁歴や技能の差はあるようだが、いずれも経験者だった。開始時間になると初心者には会長の宮本さんが『初心者囲碁カリキュラム』(・碁とはこういうもの・技術の第一歩・布石・石の組み合わせ・接触戦の要領・生きと死・終盤)などのレジメを配って教えてくれたが、出された復習問題に答えることが出来たのは経験者のみだった。経験者はこの講座の内容を過去の記憶を呼び戻すようにしながら、習得しているように見えた。
Tさんとわたしには理解が出来ないことが多かった。しばらくしてTさんは「家庭の事情が出来た」と言って月例会に来なくなった。わたしは同様の立場にあった相棒を失って気落ちした。無知のうえ呑み込みの悪い自分に「皆と一緒にやっていけるのだろうか・・・」と、先々への不安と焦りの日々が続いた。
しばらくしてから、ボール紙製の十三路盤(プラスチック製の碁石付き)を棋院会館の売店で購入して『日本棋院の囲碁入門』(前出)を片手に基本的なルールや石の取り方を自宅で勉強をした。が、その後も対局相手のない虚しい月例会への参加が続いた。相応の知識、技能のある者は棋力向上のため、同等または棋力の上の者との対局を望むのは当然のことであるし、初心者が相手では棋力の向上は無論、囲碁の面白みも味わえないのも当然のことである。と思うので初心者からは上級者に声をかけにくいのだ。棋院会館に通っている頃は、正直なところ苦痛ですらあった。記憶力の低下もあって習得が遅く「囲碁を覚える」と言う初心の気力がスウーッと全身から抜け出
るような日もあった。だが、講義中の復習問題をたまに正答すると会長の宮本さんや顧問の松野支部長に褒められることもあって、囲碁を覚えることに挑戦する心の火は辛うじて灯り続けた。加えて終了後の居酒屋での会食が楽しく、やる気を後押しした。会食後の別れ際に松野支部長や宮本会長がわたしの心を見透かしているように「来月も必ず来なさい、欠席はだめだよ」と背に投げかけてくれた声は今でも耳の奥に残っている。
平成16年(2004年)6月から月例会の会場がJR東京駅前の八重洲口会館の9階にある日本棋院八重洲囲碁センターに移った。そこでは各界のグループや個人同士で対局している大勢の熱気が広いフロアの隅々まで漂っていて、囲碁の盛況ぶりを改めて感じた。そのフロアの片隅でアマチュアの指導碁に携わっているレイモンド氏など著名なプロ棋士を何度か見た。その頃になると、わたしからお願いしたり、上級者から声をかけていただいたりして井目による対局が出来るようになっていた。が、手すきでそばに立っている上級者がわたしの着手を見て「分からん、その手はなに?」、「黒番だね、良いところがあるよ!ホラ、ソコ、ソコ!」などと、嘲笑や加勢の声が飛び交うことも少なくなかった。布石、定石、手筋などと言う囲碁の用語を知ったのは、それからずっと後のことなので仕方のないことである。平成17年4月に指導碁を担って頂いていた大窪プロ九段が事情で退任した。無論、わたしは一度も指導を受けることはなかった。
八重洲囲碁センターに移ってから、小学2年生になった孫がサッカー教室に通い始めたので毎土曜日に荒川、江戸川の河川敷などのグランドへ送迎をすることになり、月例会への参加が激減した。

平成22年(2010年)9月からHさんの提案で八重洲囲碁センターと並行して、幕張ビルの近辺に在住する会員を対象に毎月第一日曜日に勉強会を行うことになった。幹事の矢田さんとSさん、Tさん、Mさんとわたしの6人がその日に顔を合わせた。日曜日は孫の送迎がないので事情のない限り市川ICから幕張ICへ車で通った。他のメンバーも車で来ていたので終了後の会食はなく、それぞれが持ち寄った弁当を食べる時が懇談の場となった。メンバーは皆、現役時代からの既知の仲だった。そのなかでHさんは、わたしが入社した頃に同一勤務地だったが、職場が違うので互いに挨拶を交わす程度の付き合いだったにもかかわらず、平成18年(2006年)に入会した縁で「教えるなどと言う立場にはないが、互いに初段を目標に一緒に勉強をしないか」と声をかけてくれた。Hさんは私よりずっと年上だが、同好会へ入会したときから初段取得を目標に、誰もが驚くほど熱心に囲碁に向き合っていた。わたしが八重洲囲碁センターの月例会をたびたび欠席して囲碁に取り組む意欲を失いかけている間に、棋力に大きな差が出来ていた。わたしは恥じるとともにHさんの厚意に感謝した。

初めに取り組んだテキストは『NHK囲碁講座2000年4月号九子局総譜』だった。このテキストは、わたしが同好会に入会するときに「教えてやるよ!」と言って下さったAさんから頂いたものでNHKが放送している『囲碁講座』の1年分の中のものだ。テキストの総譜に従ってHさんと交互に打ちながら下手の着手のポイントや注意すべき点などの指導を受け、総譜を見ないで打てるように何度も打ち続けた。それから暫らくして総譜を見ずに打つように言われた。着手の一手、一手を理解していれば打てるとの指導だった。Hさんの日頃の精進と技能の向上に改めて驚いた。その後、Hさんと井目で何度も対局したが負け続けた。それでもHさんは対局を終えると「棋力は上がっている」と言い、萎える心を支えてくれた。
幕張ビルの勉強会が平成22年(2012年)8月に終わることになり、Hさんからの誘いを受けて新京成線新習志野駅前にある船橋市老人福祉センターで平成24年(2014年)12月までご指導いただいた。幕張と新習志野におけるHさんの4年に及ぶ指導により得た知識、技能、囲碁に向かう心構えなどの多くは、わたしのような者が独学で学ぶことは出来なかったであろう。対局における盤上の一手、一手には何らかの意思があることや相手の手を見破ったときの喜び、策にはまって勝ち碁を逆転負けすることなど、囲碁の対局には一手、一局ごとに喜怒哀楽が秘められている。大袈裟だが囲碁は人生の縮図のようなものを感じさせる。歴史に名を遺した平安の貴人、戦国の武将や近世・現代の名だたる文人、経済人に愛好者が多い理由が分る。
月例会は平成22年(2012年)12月に浜松町のシーバンス・S館に移ることになり、八重洲囲碁センターでの月例会は11月に幕を閉じた。この時、山崎アマ八段は高齢を理由に勇退された。山崎さんには一度だけ指導を受けたが、その時は「碁になってない!」と、叱咤されたことを覚えている。
誰でも碁を打っているときは時間の経つことを忘れるほど夢中なる。そして、わたしのように救いようのない下手でも、あからさまに叱責されたりすると、感情を露わにして反発することがある。月例会終了後の会食の席でその日の対局ではどの手が良かったか、悪かったかなどを上級者に講評されることがある。耳の痛いことが多い。月例会の終了時刻まで相手を変えて数局打つが負けが多いので、次月までに懸命に勉強をして鼻の穴を明かしてやろう、などと思うのだが2、3日するとその気持ちは薄れて立ち消えてしまう。これは、わたしの生まれながらの性分で、勝負ごとに勝つことへの執念の乏しさだと思っている。ハンデイなしの互戦の相手は未だにYさんとFさんの二人きりである。対局者との勝敗の履歴を書き入れた得点表からは井目でお願すべきなのだが、生意気に「六子でお願いします」と言いながら、上級者が打った手にボヤキ、急所を突かれると「切ったな!いやな覗きだ!憎たらしい!」などと悪口雑言をならべるが、皆一様に紳士的に相手をしてくれる。現役時代に同じ釜の飯を食った仲間ほど有り難いものはないと思う。平成27年度から宮本さんから引き継いだ新会長の稲富さんもしばらく休止をしていた勉強会の講師になって、壁に掛けた大盤の前で「石の生き死に」などの指導をしてくれている。棋力向上を目指す初心者にとって、大変有り難いものである。
以前、Hさんから借りてインストールをした囲碁のゲームソフトの6級程度に設定した互戦は負けが多いが、六子の置碁ではほとんど勝つので気分がいい。だが、ものを言わず生気のない機械が相手では楽しさも半分である。だから、互いに勝負の形勢と共に変わる形相の変化や急所を打たれて言うボヤキ、時に強くまたは弱く吐く息遣い、全身に血流が盛んになって紅潮する顔面を感じ、うかがえる実戦は格別だ。
毎週日曜日にNHKが正午から放送をしている『囲碁講座』と『囲碁トーナメント』を観るのが楽しみだ。『囲碁講座』はズバリ勉強になるし、『囲碁トーナメント』の超一流のプロ棋士が着手する高度な技能は難解だが、解説者の説明を受けてなるほどと思う場面も多くなってきた。
*写真は社友会東京支部のHPより転載しました
*写真はクリックで拡大します
成田 様
早速のコメント、有難うございました。
恥を晒すようで、執筆には勇気がいりました。
これを読んだ初心者が同好会に入ることを期待しております。
三ツ木さま
「それでも囲碁は面白い」の記事を拝見しました。
私は学生時代に、故郷の仲間50人ほどの寮に入っていましたが、当時の娯楽といえば囲碁か将棋でした。
こう言う類の寮には、ご他聞に漏れず何事にもボスみたいな人がいて、囲碁の2段という人が、誰かれなく強引に囲碁に誘っていましたが、私は残念ながらその機会を逸し、気が付いた時にはもう手遅れでした。
三ツ木さんは60歳から始められたとのこと、まさに尊敬の念を禁じえません。
これからも、囲碁仲間に囲まれて、楽しく遊んでいただきたいと祈念しています。