四季酩酊 第75回
酒坊
直接に被害こそなかったが今までに三度大きな地震に遭遇した。何度経験しても地震は慣れるものではない。大地震が起きた時、私は何をしていたのか。
その①
1968年(S43)5.16 AM9;48 十勝沖地震 M7.9 死者52名 ※1
私は函館に勤務していた。函館山の麓にある2階建ての木造建物が社屋だった。朝礼も
終わり仕事に掛かり始めた時に地震は起きた。4段くらいに積んでいたブラウン管が倒れて割れる音がした。社屋の倒壊の恐れに、外に出たが立っていられない。何人かが街路樹にしがみついていた。目の前の土蔵が崩れるのが見えた。4階建ての函館大学の1階が圧壊され、3階建になっているのをニュースで見た。
夜に同じ位の揺れが来た。身重(8カ月)の妻とアパートの2階を駆け下りたが、停電で暗闇の地震の恐怖は今でも忘れない。
その②
1995年(H7)1.17 AM5:46 阪神大震災 M7.2 死者6279名
単身赴任の私は日曜日に新幹線の最終で大阪に帰った。八尾の独身寮の4階で就
寝していると、ドンと身体が浮き上がり夢中で支柱にしがみつきながら、落下すると思った。老朽化(S34築)した建物だが、免れた。会社には出勤できない社員がたくさんいた。ボウリング場のコンピュータシステムを担当していたので、被害状況を電話で聞き廻った。
1週間後に阪神梅田駅から住吉駅まで行きたかったが、復旧していないので青木駅で降り2駅歩いた。駅前でおにぎりを
6個1500円で売っていた。ビルは傾き、コンクリの道はうねっていて歩く感覚がおかしい。川の土手にはポリタンクを持っている人が水汲みをしている。トイレの水だと言う。
友人の家は倒壊していたが家族は無事だった。帰りに奈良の秋篠寺の技藝天女を見に行き、本屋で10年日記を買った。
その③
2011年(H23)3.11 PM2:46 東日本大震災 M9.0 死者18455名 ※2
その時、私は溝の口にあるビルの12階で地デジのアルバイトをしていた。トイレに座って
いるときに地震は起きた。ビルの揺れが大きく隣のビルにぶつかるかと思えた。スマホのテレビで大変なことが起きているのを知った。
階段を使って広場に集まり、残る者帰る者の確認をして解散した。私は駅に歩いた。武蔵 溝の口駅にはたくさんの人がいた。電車は動いていない。登戸駅は無残にもシャッターが閉められていて、トイレさえ利用できない。空のタクシーな
んかいない。バスも神奈川県から東京都へは走っていない。覚悟を決めて歩いた。高幡不動の辺りで、赤いランプの最終を知らせる日野駅行きのバスが追い抜いて行った。日野駅まで歩いて、深夜バスに乗ったが、歩いた距離を調べると、21kmあった。
地震だけならあれほどの犠牲も無く復興も早かったろうに、津波と原発事故である。地震と津波は自然災害で防げぬが、原発事故は確かに人災である。
※1 十勝沖地震と命名された地震はいくつかある。他に1843.1952.2003年の地震が大きい。
※2 死者の数は、津波と行方不明者を含む。