文学青年私記 ⑤

四季酩酊 第80回

 はるばる来たぜ函館へ

酒坊

東京に赴任して1年足らずで函館に転勤を命ぜられた。これには理由がある。社員がFS会の会長の娘と恋愛をした。そのまま発展して電気店を継ぐ話はたくさん聞くが、どうも拗れて退職した。急遽後任が必要になり、たまたま同じ学校の同級生だった私に白羽の矢が当たったという事です。(このIとはクラス会で会う事があります)

3月14日午後1時の特急「はつかり」で夜中に青森に着いた。ホームに小雪が舞っていて雪が積もっていた。なぜか誰もがホームを急いでいる。私はどんどん抜かれてゆく。青函連絡船の二等客席は船底にあった。絨毯の船室はすでに満員で寝転んでいる。私は横になれず函館に着くまでの4時間膝を抱えた苦行だった。汽笛が鳴ってデッキに上がると真黒い函館山が見えた。函館駅から特急「おおぞら」に乗り換え札幌に向かった。札幌支店で挨拶を済ませて翌日、函館駅に下り立った。駅にはNさんが迎えに来てくれていた。駅前のロータリーに黒い根雪が盛り上がっていた。

北海道シャープ電機函館営業所の社屋は十字街電停と西波止場の中間にあって、函館山の裾にあった。一階が事務所で二階が2間の独身寮と営業所の所長一家の部屋がある。倉庫は事務所の奥に独立した建物だが、土蔵である。

夜中に函館湾に響く汽笛が変にセンチメンタルにさせた。

送別会の時に北海道出身のY課長が私に向けた言葉「街でも熊が出る」「銭湯も混浴」が強く記憶に残っていた。後年、テールランプ目がけて熊に追いかけられたことがあったが街中ではなく、大沼の国道だった。初めて銭湯に行ったときはびくびくしたが、混浴ではなかった。登別温泉の第一滝本旅館の大浴場は混浴だったが。

寮生には仙台出身の同じ齢のIと福島出身で一つ下のI、東京支店にもいた埼玉出身のMや京都のMに奈良のUに札幌のKなどと生活を共にした。同年代の若者達だった。

1カ月経った4月に、松前の手前の峠で20歳になった。

転勤へ津軽海峡船の底

 

「文学青年私記 ⑤」への2件のフィードバック

  1. 入社は私の方が先輩ですが、酒坊さんの後を追うように昭和41年11月初め札幌シャープへ転勤になりました、大阪を発ち当時の第二営業部の拠点の東京支店へ挨拶に寄りその日の深夜青函連絡船に乗りました、途端に寒くなったので予め寒さ対策で用意したトリスウイスキーポケット瓶でチビチビ、だがうたたねと酔い覚めで札幌に着いた時には悪寒と熱で風邪をひき、挨拶もそこそこに四階の寮で寝込むという失態で情け無い赴任状態でした。
    酒坊さんの時とは違ったのか札幌は東京以北では一番の都会で若い女性はミニスカートにブーツ、それにススキノ・札チョンの言葉の響きも良くて実は転勤先が五つ有った中で札幌を希望しました。 
    今回はコメントにならず済みませんでした、北海道への転勤の一コマでした。

    1. 小松 様
      昭和45年まで函館にいましたが接点はありませんでしたね。
      函館から札幌に挨拶に行った時の印象が一つだけあります。支店長やサービスの責任者のことは印象にありませんが、寮のおばちゃんが話してくれた事。「札幌では春風のことを馬糞風という」雪に埋もれた馬糞が春になって雪が融けて、道路が乾き風に馬糞が舞うらしい。
      接点はなかったけれど、青函連絡船などを共有していたんですね。
      私の随想で一人でも昔を思い出し、懐かしんでくれる人がいれば書いている者の冥利というものです。
      最近のことは忘れるが、昔のことはよく覚えていると言いますが、本当ですね。
      明日(6/8)に北海道新幹線で函館に行き、函館だけに滞在します。

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