文学青年私記 ⑫

四季酩酊 第89回

 さよなら函館、そして小説の原点

酒坊

 

私は函館に永住したかった。住めば都の7年になっている。埼玉から来たM泉先輩は函館の女性と結婚して会社を辞めて独立した。本当に心地良い街だった。東京の父は早く帰らせてくれと、会社に直訴していた。東京に戻ってから聞いた話だ。DSC02033

昭和42年(1967年)24歳になる3週間前にひとつ違いの女性と職場結婚をした。翌年の7月に長女が生まれ、生活に落ち着きができた。幼いころを思い『たった二枚の写真は』そして長女誕生『天津日の子よ』の詩を社内報「窓」に載せて貰った。岡田社長が朝礼で褒めてくれたのを思い出す。

『23歳のひとり息子である徹吉の周囲には』(100枚中断)『函館の歌』(111枚)を仕上げて、『奇妙な関係』(20枚)を書いた。この小説は、A子と別れの喫茶店へ行く途中で遇った廬山の良子がヒントにDSC02030なった。この作品が「小説新潮」に入選した。選者の三浦朱門は「『奇妙な関係』は推理小説風の道具立てだが、話術が巧みで、読者の興味を最後まで引きづってゆく。これを入選にしたのはその達者な筆使いのおかげで、私自身が楽しく読ませてもらったからである」と言っている。雑誌は昭和45年の5月号で、函館にはいなかった。

その後も『逃路』『塵の塊』いずれも短編を書いた。龍之介から始まった小説好きは短DSC02028編が起点かも知れない。

昭和45年(1970年)4月15日、7年間お世話になった函館を去ることになる。茅ヶ崎への転勤が決まり、スズキフロンテの小さな車と家族三人は東日本フェリーで津軽海峡を渡る。季節外れの大雪が東浜桟橋を舞っていた。雪の中、大勢の社員が手を振っていた。1歳の娘も手を振っている。

小さな車は厳美渓で一泊しただけで茅ヶ崎に着いた。

小説の原点くれた北の国  酒坊