文学青年私記 ①

四季酩酊 第74回

同人誌「奥津城」

酒坊

皇太子明仁親王のご成婚の時に、工業高校電気科の生徒になった。昭和34年、日本は貧しかった。我が家も貧しかった。冨士屋という屋号で「鰹節屋」を営んでいたが裕福ではなかった。だから、普通高校に進学して大学に行けなかったといえば親を愚弄することになる。現に3つ上の姉は、一浪したが大学に行っている。

プライドもあったので普通高校に劣らない工業高校を受けたが、答え合わせをすると、9科目730点のボーダーラインだった。辛うじて合格した。

経済的に余裕の無い家の子供の集まりだったが、頭のいい奴ばかりだった。中学2年の時に1度だけだが全校で2番の成績が自慢だったが、奴らには歯が立たなかった。

小説家に憧れていた。小説家になるには、早稲田大学と勝手に思っていたが、「文科では食っていけない」と父の反対で、あっさりと諦めた。職業校は3年生にもなると英語・数学・国語の授業が極端に少なく、大学進学は狭き門だった。

2年になって同人雑誌を作ろうとざわめきが起きた。同人雑誌といっても原稿用紙を綴じた回覧誌である。この時に誰かの提案で「奥津城」が雑誌名になったが、私には奥津城の意味が解らなかった。私は龍之介や太宰に傾倒していた。『初恋』『内気な彼の道』『或る青年の死』『屋島談古嶺の深潭』『内村四三二君のこと』『好色』『へその次郎兵衛』『或る御言葉』などを発表した。

昭和37年、卒業記念に同級生全員のカンパを受けて、印刷本を出すことになった。編集責任者の私は、文京区の中央孔版社に印刷製本を頼んで出来上がったのが、90頁上下2段組の奥津城第5号である。奥津城小説あり詩あり随筆あり童話もあった。こんなことが工業高校電気科で起きたのである。好きで職業校を選んだ人たちではなかった。私は11頁を貰い『躊躇する事なく情熱を込めて』という題の青春恋物語を載せた。

卒業して会社に就職しても小説への憧れは続いた。

ある年のクラス会で回覧雑誌を所持しているという者がいた。それをもとに復刻版を作ると言った者がいたがまだ実現をしていない。

 

※ おくつき【奥津城】墓。神道では、「墓」と言わず、この言葉を用いる。(岩波国語辞典)

小説の原点にいる回覧誌   酒坊

 

「文学青年私記 ①」への4件のフィードバック

  1. 酒坊さんとの最初の出会いは、10年程前の「東京支部・広報委員会」の発足の時でした。幕張駅近くの居酒屋で、ささやかな発会懇親会を開き、ぞれぞれ自己紹介したときに、酒坊さんが文学青年だったと自己紹介があり、驚いたことを憶えています。
    その後、東京支部でも川柳の会(現・とうりゅう会)を発足させることになり、一も二もなく会長に推薦させていただきました。
    今では、とうりゅう会の会員に、いろいろ指導してもらっています。
    ところで恥ずかしながら、私は「奥津城」という言葉を初めて知りました。はじめは、奥津という所にあるお城だと思っていましたら、神道上の墓とのことでした。この歳になって勉強をさせて貰いました。

    1. 成田 様
      コメントありがとうございます。
      青年の心を持って、しっかりと文学老人をやっております。
      とうりゅう会会長という役目を担っていなければ、こんなに深入りしなかっただろうと思っています。役職柄大いに勉強させていただいています。
      そのお蔭で上達?しているのだと感謝しています。

  2. 書かれている事が流石で、何をどうコメントして良いものか分らないのがコメント?です。
    小説は書く以上に読む事と書く為の想像力・洞察力・知識・見識等必要と思います、それに加えて本文にあるような優秀な頭脳が文才を生むのでしょうね。
    更に酒坊さんの母校のOBで数名の方は我が社友会の各部署でご活躍されており立派です。
    昭和40年頃社内報「窓」に文芸サロンのページが有りましたが私の感では恐らく酒坊さんは随筆で投稿されたのではと思いますが如何でしたでしょうか?
    かく言う私は当時この欄に短歌3句を投稿していました、詠み人の才能が全く無い内容で当時恥ずかしく思った事でした。
    では酒坊さんの 本文No、2を期待しています。

    1. 小松小結 様
      コメントありがとうございます。
      ご指摘の通り、社内報「窓」に「読者の窓」というコーナーがあり、時折、詩や随筆を載せていただきました。
      昭和46年6月発行の「窓・VOL.113」が手元にありますが、このころの会社はアットホームでしたね。巻末には「ご結婚おめでとう」や「お誕生日おめでとう」とか家族の訃報まで載っていました。誕生日のお祝いに、紅白の饅頭とか益子焼の湯のみ茶碗をいただいたような記憶もあります。
      経営理念の「いたずらに規模のみを追わず、誠意と独自の技術を持って、・・・」
      を実践していればと悔やまれる昨今です。

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