四季酩酊 第85回
金のわらじを逃がす
酒坊
小津江との恋を語る前に少年のような恋を語らなければならない。
店舗を持たずに月販会社を経営していたS社長は日に2度は会社に来た。助べえで剽軽な彼は人気者であった。若い社員を前に「今日契約に行った根崎にすごく可愛い娘がいる。父と兄は北洋で冬まで帰らない。誰か、付き合わないか」と鼓舞したS社長は漁村に客が多い。北洋の留守を預かる複数の女性と楽しい関係があるとも聞いていた艶福家だ。
誰がものにするか。4、5人の若者が手を挙げて、戦いが始まったが、その後誰かがアプローチを起こしたとは聞かない。縫製として勤めていたデパートに電話を掛けた。『テレビの調整に伺いたい』M枝は言葉を信用して日取りを決めた。
デパートを辞めて家に居るようになり、仕事の合間に逢うようになると、辞めた理由も判った。婚約を交わした人がいた。「婚約を取り消したい」衝撃的な言葉だった。私は六法全書を図書館で読み、「婚約破棄」を勉強した。顔はデビュー当時の吉永小百合に似ていた。
「港まつり」の朝早く寮に来た。「末広町の親戚の家に泊るから朝早く行きたい」と言われていた。5時ごろから蒲団をあげて待った。寮生もじっと待った。6時過ぎに裏戸を開ける音に階段を下りるとM枝だった。西浜岸壁を波の音を聞きながら歩いた。「どうして女は船乗りになれないの」船に乗りたいと言った。「港まつり」のパレードで社員は揃いの浴衣で二十間坂から練り歩いた。M枝は言葉通り、彩華デパートの前にいた。
M枝の家は函館飛行場のすぐ下にあった。広い滑走路で写真も撮った。秋祭りの日、家に招待された。夕暮れ時に二人は根崎海岸の砂浜にいた。潮騒を聞きながら、私の感情は激しかったが、行動はおとなし過ぎた。抱くことは勿論、接吻すらできなかった。太陽は沈みかけ、根崎神社の太鼓と笛の音が意気地無しを攻め立てる。母から言いつけられた弟の3度目の呼びかけに腰をあげて家に入った。アルバムを見せてもらっていたが、親戚の輪の中に呼ばれていった。
会社の夏休みに東京に帰った。本当なら函館を離れたくはなかった。青函連絡船の
桟橋で柱に隠れながら小さく手をふるM枝と別れるような気がした。
自動車学校に行くようになってから少しずつ疎遠になり始めた。指導員と仲が良いのを後で知ることになるが、まつりの夜の私の不甲斐無さが原因だと思っても、後のまつりだった。呑んだ帰りに易者の前に座った。「金のわらじを逃がしてはいけません」M枝は私より2歳年上だった。