第273回健康歩こう会9月例会「鎌ヶ谷大仏・周辺散策&梨狩り体験」実施報告

健康歩こう会9月例会は千葉県鎌ケ谷市で「鎌ヶ谷大仏・周辺散策&梨狩り体験」を実施しました

                       梨狩り体験集合写真(石井テル園)

■ 開催日時  2023年9月16日(土)12時30分  集合
■ 集合場所  新京成線「鎌ヶ谷大仏駅」改札口
■ 行  程         新京成線鎌ヶ谷大仏駅→鎌ヶ谷八幡神社→
鎌ヶ谷大仏・官軍兵士の墓→魚文の句碑→野馬の水吞み場跡(調整池)→野馬土手→清田家の墓地・駒形大明神→石井テル園(梨狩り)→新京成線鎌ヶ谷大仏駅(ゴール)                 

鎌ケ谷市は船橋市・市川市・松戸市・柏市と接し、都心からも25Km圏内にある事から、首都近郊の住宅都市として発展してきました。
江戸時代、木下街道(きおろしかいどう)は江戸から鹿島や銚子方面へ向かう人々で賑わい、街道の宿場である鎌ヶ谷宿にも多くの人が往来していました。有名な鎌ヶ谷大仏は鎌ヶ谷宿の栄えていた様子を今に伝える貴重な文化遺産です。江戸幕府は軍馬を確保する為に直営の牧場を設けて、鎌ヶ谷(中野牧)は小金牧の一部とされ、野生馬の供給地ともなっていました。現在もその遺構を残しています。
一方、千葉県は梨の名産地として全国第1位で、ご当地の鎌ヶ谷市の梨は県内でも上位を占めて有名な地域です。健康歩こう会での果物狩りの経験は今回が初めての為、皆さんは大変珍しく、然も食べ放題で直にもぎたての梨を美味しく楽しく味わって頂きました。梨狩りの実感体験が出来て思い出の多い歩こう会が出来ました。
    

まだ残暑厳しい真夏日の9/16(土)、鎌ヶ谷大仏駅に15人の皆さんが集合しました。1階北口の新京成バスターミナルの場所で開会式を実施して、柿本会長から冒頭挨拶、「11/3早川徳次特別例会開催」の案内が有り、歩こう会新会員の「福本敏明さん」の紹介がありました。コースリーダーより見どころ説明があり出発です。

【コース順路・見 どころ】主なもの、抜粋しました。

最初に鎌ヶ谷大仏駅近くの鎌ヶ谷八幡(はちまん)神社詣りです。
【鎌ヶ谷八幡神社】
鎌ヶ谷八幡神社は、鎌ケ谷市鎌ケ谷にある神社です。鎌ケ谷八幡神社は、寛永年間(1624-1645)に木下街道(きおろしかいどう)の宿場として設置された鎌ケ谷の鎮守として寛永6年(1629)に創建したと伝えられます。 鎌ケ谷村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し村社に列格、浅間神社など諸社を境内に遷しています。百庚申および庚申道標は鎌ヶ谷市有形文化財に指定されています。
(御由緒)
当社の御祭神は、八幡大神と申上げ誉田別尊(ほむたわけのみこと・第15代天皇 応神天皇)を奉祀する八幡(はちまん)信仰は九州の宇佐八幡宮が始まりです。

鎌ヶ谷八幡神社の案内を終えると、早速、境内にて百庚申・庚申道標が見られました。

【百庚申・庚申道標】昭和63年12月市指定文化財
・百庚申は、天保12年(1841)年11月から13年(1842)3月にかけて建てられたもので、青面金剛像を彫った刻線塔10基と文字を彫った文字塔90基で構成されています。百庚申は江戸時代後期におこり、数量によって多くの功徳を願う数量信仰の影響を受けて生まれたもので、下総(しもうさ)地方を中心に流行したものです。(鎌ヶ谷市教育委員会掲示より)

・ 庚申道標は、正面に「青面金剛王」、右側に「寛政7卯年」、左側に「11月吉日」と陰刻文字で書かれています。台座左右にそれぞれ「東さくら道」「西こかね道」と書かれており、道標を兼ねていたものです
現在は境内に建てられていますが、寛政7年(1795)11月、日光へと続く日光東往還へ通じる小金佐倉道と木下・行徳を結ぶ、木下街道の交わる十字路(現在の大仏十字路)塚上に建てられたものです。(鎌ヶ谷市教育委員会掲示より)

鎌ヶ谷八幡神社本殿、浅間神社に参詣を終えると、次は真向かいの墓地への移動です。小さいのに大仏!?、鎌ヶ谷大仏の実像初めて見ました。

【鎌ヶ谷大仏】昭和47年3月市指定文化財

鎌ヶ谷大仏     (銅製の釈迦如来坐像)

安永5年(1776)、鎌ヶ谷宿の大国屋(福田)文右衛門が祖先の供養の為鋳造させた高さ1. 8mの銅製の釈迦如来座像。仏像の完成時に行う開眼供養には僧侶50人あまりを請じ、江戸の高級料理屋「八百膳」で300人前の料理を用意したと伝わる。鎌ヶ谷宿の栄えていた様子を今に伝える貴重な文化遺産です。
奈良や鎌倉の大仏には遠く及ばないが、駅名に大仏と名の付く駅はここだけです。
因みに、「大仏とされる仏像で、石像以外では日本で一番小さい」ようです!。
※ 参加の皆さんも想像以上に小さいので、第一印象は唖然とされていました。

有名な鎌ヶ谷大仏をしっかり見終えると、木下街道(きおろしかいどう)を少し歩いて次の魚文の句碑に着きました。

魚文の句碑

【魚文の句碑】昭和47年3月市指定文化財
三叉路の車の多い交差点ですので、遠くから聞いて頂きました。
木下街道は河岸を結ぶ輸送路として、江戸から鹿島や銚子方面へ向かう人々で賑わい、街道の宿場である鎌ヶ谷宿にも多くの人が往来していました。この石碑には「ひとつ家へ 人を吹き込む 枯野かな 魚文」と刻まれており、松尾芭蕉の流れをくむ俳人「三級亭魚文」が、旅の途中で詠んだ句と思われます。その他に「右 木をろし道」「左 中木戸道」とも刻まれており、木下街道の道標を兼ねていました。
次は野馬(のま)の水吞場のあった調整池へ移動しました。

【野馬の水吞み場跡(調整池)】全周400m 、  古くは丸山溜井と呼ばれた
この溜井は野馬の水呑み場だったことがわかっています。
この部分は、東武団地調整池となるときに掘り下げられ、現在は水面下となっています。天保14年(1843年)に描かれた「鎌ケ谷村絵図」を見ると、池の周囲の土地の使われ方がよくわかります。

お疲れさんです!!

次への移動の途中(第3新田公園)で、皆さんお疲れの様子で休憩時間をとりました。

(ここで謎解きです!)
Q ※なぜ?千葉県は下総(しもうさ)の方が上総(かずさ)より上にあるのに   「下」とつくのでしょう?
(お答えします!)

A ※都(みやこ)から近い順に、「上総」、「下総」と名付けられました。室町時代以前は都から箱根を超えて房総半島に行く際、船で東京湾を渡るルートが本道でした。つまり、都からこのルートで進むと、上総の方が下総より近いのです。

【野馬土手(鎌ヶ谷1丁目)】平成19年2月国指定史跡文化財

野馬土手(のまどて) 国指定の史跡です。

下総(しもうさ)小金中野牧跡は鎌ケ谷市にある国指定の史跡です。
小金牧は江戸幕府が軍馬を確保するために作った直営の牧場です。
(小金牧ー5牧場、佐倉牧ー7牧場作りました。)
この小金牧のなかの一つ、中野牧、一本椚牧、下野牧に鎌ケ谷市の一部が含まれています。
捕込(とっこめ)とはこの牧の中で放し飼いにされていた馬を集めて選別する場所のことです。野馬土手は、牧場に関連して作られた土手の総称です。江戸幕府の牧経営の様相を知るうえで重要であり、かつ保存状態が良い野馬土手として貴重であるため、平成19年度に捕込と共に国史跡に指定されました。
※ 参加の皆さんの関心は土手の高さや、保存の状態でした。
江戸時代当時の土手の高さは約1.5m~2mくらいで、小金牧全体で最盛期には野馬1000頭近くが放し飼いにされていました。

旧旅籠丸屋 (遺構)

市内周辺を散策して、愈々楽しい梨狩りです。一旦、木下街道に出て歩きながら、「旧旅籠丸屋」が見られました。
※ 鎌ヶ谷宿は最盛期には問屋1軒、旅籠7軒と記録されています。旧旅籠丸屋1軒だけが唯一宿場時代を感じさせてくれる遺構です。

遂に梨園に到着しました。

ようこそ!石井テル園へ

【石井テル園】 梨狩り体験…… 鎌ヶ谷大仏のスポット、(収穫時期:8月下旬~10月上旬)。
到着するや、梨園に誘導されました。各人、食べ放題で、果物ナイフが手渡されました。持参のレジャーシートを敷いて先ずは直にもぎたて開始です。梨の種類の説明がありました。本日は(豊水・南水・豊華・陽香)などを戴きます。皆さん食べ放題で1個目が美味しくて欲張りましたが、精々多くて4個止まり位で限界でした。(最高記録は大学生で23個での話がありました。)我等では到底及びませんね。実に楽しい童心に帰った久しぶりの梨狩りを経験出来ました。企画は先ず先ずでした)。
(参加の皆さんの梨を懸命に頬張って食べているスナップ写真を掲載しましたので確認下さい)。

梨狩りで食べ終えて皆さん持ち帰りのお土産をお買い上げされていました。梨園内で集合写真を撮って最終ゴールとしました。終わりに、柿本会長から次回例会「10月成田山新勝寺散策」の案内と参加要請があり、最後にお礼を申し上げて解散としました。
※ 本日も相変わらずの猛暑続きで、皆さん汗を掻いての歩こう会でした。
例会の見どころや関心は、鎌ヶ谷大仏見学と初めての貴重な梨狩り体験でした。
今後もこのような果物狩りを取り上げて欲しいとの強い要望がありました。
ご参加頂いた皆さんのひと声を大事に取り組んで参りたいとおもいます  。

以上

文書作成  古澤 律夫
写真提供  柿本 政昭
〃    有田 知義
〃    伊東 哲也

 

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