第278回 都電荒川線に乗って沿線ぶらり旅 実施報告

健康歩こう会24年3月の例会(第278回)は最後の都電「荒川線に乗って沿線ぶらり旅」を実施しました。

実施日  2024年3月30日(土)
参加者数 37名
天候   初夏を思わせる快晴(少し暑く感じる気温)

テレビ番組で、電車・バスを乗ったり降りたりしながら沿線の街(名物など)を紹介する旅番組が根強い人気を持っていますが、今回の健康歩こう会では、参加者が主役になり、テレビ番組のように、電車に乗ったり降りたりして旅をしながら沿線にある名所を巡るという、これまでの健康歩こう会ではやったことのない初めての経験をする旅をでした。下の写真はいろいろなタイプの荒川線の車両です。

乗ったり降りたりするのは、都内最後の都電と言われる「都電荒川線」です。都内の公共交通は、明治18年に日本橋 ~ 新橋間に開通した(銀座中央通りを通りました)馬車鉄道が最初です。この後、馬車鉄道は、電車に変わり、最盛期の昭和30年ごろには営業キロ数が213Km、40系統の路線が都内を網羅していました。1日の利用客数は175万人を数えていましたが、モータリーゼーションの進展や地下鉄網が整備されたことにより路面電車の採算性は悪化してゆきました。昭和42年には東京都交通局が財政支援団体に指定され、再建策の一環として昭和47年に「路面電車は廃止する」ことが決まりました。しかし、昭和49年に「荒川線を恒久的に存続する」ことが決定されて現在に至っています。荒川線は都内に残る唯一の都電で、 三ノ輪橋から早稲田間 12.2Km、30の停留所を運行しています。地域住民からは身近な足として長年親しまれており、季節により桜やアジサイ、バラなど花の見どころがあり、歴史や文化に触れることが出来る名所旧跡、生活感あふれる昔からの商店街など多様で魅力のあるスポットがたくさんあります。「東京さくらトラム」の愛称で親しまれています。

このような心ウキウキする旅をするこの日、集合場所の三ノ輪橋駅には37名の会員が集合しました。集合場所は通行人が多く、話をすることが出来ないので一行はすぐ近くにある最初の見学スポット「円通寺」に向かいます。

本日の例会開催に先立ち、先日亡くなられた健康歩こう会前会長田口さんの奥様のご冥福を祈って黙とうをしました。体調を崩される以前はご主人とともに毎回健康歩こう会のに参加されており、皆勤賞の常連メンバーでした。

円通寺は寺伝によれば、延暦10年(791年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えらている古いお寺です。
明治維新の折、慶応4年(1868年)上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員をこの寺の住職が火葬を行いました。(上野公園の西郷隆盛像があるあたり)そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もあります。また、昭和38年(1963年)3月に当時4歳であった村越吉展ちゃんが誘拐される事件が発生し、2年後に円通寺の敷地内の墓地から白骨化した吉展ちゃんが遺体で発見されたことでも知られているお寺です。

いよいよ、荒川線の旅が始まります。都電三ノ輪橋駅に着くとかわいい電車が待っています。みんなで一緒に乗車したいところですが、我々の人数が多いので、3回の電車に分かれて次のポイント「都電荒川車庫前」に移動することになりました。荒川車庫前駅に降りるとすぐ目の前に「都電おもいで広場」があります。懐かしい停留場をイメージしたスペースに貴重な旧型車両2両が展示されています。電車の中には懐かしい資料でいっぱいですが、電車の運転を疑似体験できる設備もあり、目の前のデスプレイに写る風景で、実際に運転している感じになります。
ここでは、みんなで集合写真を撮影して次のスポットに向かいます。

次は「王子駅前」で下車します。飛鳥山には、多くの花見客が楽しんでいましたが、残念ながら桜はいまだ咲いておらず、固いつぼみの状態です。今年は3月に入り比較的寒い日が続いたこともあり開花が遅れており、靖国神社の標本木も昨日ようやく開花したというニュースがありました。それでも、花見客の皆さんはシートの上で食事を楽しんでいました。まさに「花より団子」です。

飛鳥山公園でしばらく休憩をしたのち、次のポイントに向かいます。
次は「新庚申塚」で下車します。少し歩きますが、「本妙寺」に到着です。「徳栄山本妙寺」と言い、徳川家が栄えるようにと願って創建されたお寺です。岡崎にありましたが家康の移動とともに、岡崎から、浜松、江戸(江戸城清水門内)、小石川、本郷丸山と移転しました。明治41年(1908年)から現在の場所に移転しています。このお寺は以前から会員の皆さんに紹介したいと思っていた場所ですが、それは歴史的にも有名な「明暦の大火」の火元になったお寺という説があるからです。しかし、明暦の大火には、謎が多くあり、真の火元は定かにはなっていません。
明暦3年(1667年)1月18日に発生した明暦の大火ですが、江戸の約6割(家康開府以来からの古い密集した家並みのほとんど)を焼き尽くしました。余談ですが、この大火では江戸城の天守閣も焼けてしまい、以後天守閣は再建されていません。

  • 最初の火事が収束しようとしていたところ、次の火事が発生した。結果として3か所の火元が確認されています。
  • 本妙寺が火元であるなら、幕府からお咎めがあるはずですが、本妙寺に対してお咎めは一切なかったとされていること。数年後には元の場所で復興し、さらには「蝕頭」として異例の昇格をしていること。
  • 檀家ではない老中。阿部忠明から本妙寺に数表の米(15俵)が大火の回向料として大火の翌年から届けられている。これは幕末まで続いていた。

などの不自然な事実があるので真相は闇の中となっています。
本妙寺には明暦の大火の慰霊塔があるほか、「遠山金四郎」、「歴代本因坊」、「千葉周作」のお墓もあり、それらのお墓にお参りした後、次に移動です。

次は高岩寺(とげぬき地蔵)です。歩くこと約5分で高岩寺に到着です。「おばあちゃんの原宿」として有名なとげぬき地蔵ですが、おばあちゃんたちの姿はあまり見られません。まずはお参りをした後、待ちに待った、自由昼食の時間です。電車に分散して乗車することで時間がかかり、予定より遅くなりました。皆さんおなかがすいていたようで、時間と集合場所をを決めて解散すると、早々に姿が見えなくなってしまいました。

昼食の後、集合して、次のポイントに行くために「庚申塚」駅に向かいますが、庚申塚駅の近くに「巣鴨庚申塚」があります。この辺りは、江戸時代には中山道巣鴨宿があり、旅人の休憩所として茶店などもありました。賑わいを見せていましたが、現在はこの場所の庚申塔に「猿田彦大明神」を合祀しています。お参りして庚申塚駅から次のポイントに移動です。

次のポイントは「鬼子母神」です。鬼子母神は安産・子育ての神様として広く信仰されています。鬼子母神は嫁して多くの子供を産みましが、自分の子供を育てるため近隣の幼児をとって食べるので恐れられていました。お釈迦様が、鬼子母神の子供一人を隠しました。その時の鬼子母神の嘆き悲しむ姿を見てお釈迦様が「他人の子供を奪うことが父母にとりどんなことか」と戒められ、以後お釈迦様に帰依し安産・子育ての神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。

さて、予定ではこの後も乗り降りしながら旅を続ける予定でしたが、参加者数の関係から、電車で移動する時間が予想以上にかかったこと、また参加された皆さんの疲労具合などから、ここで本日の旅を終えることとしました。見どころはまだまだたくさんありますが、後日またコースを改めて実施することにして解散となりました。
荒川線の一日乗車券を使って、王子方面に戻る人、早稲田方面に行く人とそれぞれの帰路につきました。

参加された会員の皆さまお疲れ様でした。

健康歩こう会4月例会は
昔の横浜・神奈川宿から最近の新しい横浜・みなとみらい地区の姿を見てみようというウォーキングを計画しています。ご家族おそろいで参加をお待ちしております。
4月20日(土)の実施です。

文章作成   柿本 政昭
写真撮影   北村 卓志
伊東 哲也

 

 

 

 

 

 

 

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