第286回 「早稲田周辺を探索」の 実施報告

2024年3月、第278回例会で「都電荒川線に乗って沿線ぶらり旅」を実施しましたが、この時、多くの会員に参加していただき、1両の電車に乗り切れず次の電車に分乗したことなどにより、予定以上に時間がかかってしまい最後の早稲田周辺を案内出来ずに終了してしまいました。今回の例会は案内することができなかった早稲田地区に的を絞ってのウォーキングを実施しました。

実施日 2024年12月21日(土曜日)
天候 快晴 夕方になり日差しがかげると少し寒さを感じる天候。
参加者数 25名
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参加者に配布した説明文書 >>>>> ここをクリック
冬の日は早く暗くなるので、今月の集合時刻はいつもより早めの12時30分です。集合場所の地下鉄東西線「早稲田」駅 3b 出口を地上に出たところの近くにある「早稲田高等学校」の正門前に予定の25名の参加者が集合しました。
近くの神社「穴八幡宮」には大勢の参拝者が押し寄せています。早稲田高等学校の正門前で開会の挨拶をしてすぐにスタートです。今日は冬至の日で、穴八幡宮には「一福陽来」のお札を買い求める参拝者であふれています。このお札を冬至、大晦日、節分のいずれかの日の深夜12時丁度(日付が変わる時刻)に来る年の恵方の方向にお祀り下さい。と神社から案内されています。自宅に張り出すことで「家内安全」などの願い事が叶うとのご利益があるそうです。
穴八幡宮の横を進みながら、広い場所を見つけて(交通の邪魔にならないよう配慮しながら)本日は穴八幡宮に行けないが、機会があるときに行ってもらうようとの穴八幡宮の説明をしました。次の目的地として「肥後細川庭園」に行くことにしました。






肥後細川庭園に行く際、都電荒川線「早稲田駅」の近くを通ります。乗り降りして旅をしました。残念ながら、3月例会で早稲田地区を紹介できなかったので『見どころもたくさんあり、後日、早稲田地区に絞り、探索すること』を約束していました。つい昨日のようでもあり、懐かしい思い出でもあり、当日のことを思い出しながら、肥後細川庭園に向かいます。ここは熊本藩細川家の庭園、邸宅だった時もありますが、東京市に譲り、現在は文京区の管理となっています。明治になり学問所として建てられた「松聲閣(しょうせいかく)」があり、松聲閣を先に見学する班と、庭園を先に見学する班に分かれて大名庭園を鑑賞しました。松聲閣は現在は集会や勉強の場として利用されています。11月初めごろが紅葉のピークでしたが、素晴らしい大名庭園をそれぞれに堪能されていました。
庭園をあとにして一行は「早稲田大学」に向かいます。
早稲田大学は昨日までが正式な授業日で本日から冬休みになるとのことで構内も下見をしたときに比べ、どことなく雰囲気も変わって感じられました。学生さんが大学構内を案内する「キャンパスツアー」もありますが、本日は冬休みのためお願いすることができず、キャンパスツアーを体験した柿本が早稲田大学構内を案内しました。
大隈講堂
初代総長である「大隈重信」が大正11年(1922)に逝去され、記念行事の一環として建設が計画されましたが関東大震災の発生により計画は中断しました。大正15年(1925)になり資金のめども立ち、改めて建築学科の尽力で設計・施工が始まりました。高田早苗総長から「演劇にも使える講堂を」との要望を取り入れ昭和2年(1927)10月に竣工しました。
大講堂は3階建てで1123席、地下1階には301席の小講堂があります。シンボルとして時計塔がありますがこの高さが約37.8m (125尺)となっています。大隈重信が提唱していた「人生125歳説」にちなんだ高さにということです。塔上の鐘は現在でも一日6回時刻を決めて鳴らされています。
建学の精神
早稲田大学の建学の精神は、高田早苗、坪内逍遥など当時の理事により草案を作成し、早稲田大学の前身である東京専門学校の創立30周年記念祝辞にて大隈重信が発表しました。「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を基本理念としています。
早稲田大学の正門外側左に設置してあり大学の外からでもだれでも自由に見ることができるようになっています。
正門から、大学構内に入り、いよいよキャンパスツアーの始まりですがその前に、大隈講堂をバックにして集合写真を撮影します。



3号館 政治経済学部
令和6年(2024)9月 新3号館が竣工しました。旧館南側部のエントランス部分を再現し、鉄製扉を再利用するなど、かつての情景を未来へつなげる建物を目指しました。旧館を再現した棟と先進的な空間と機能を兼ね備えた高層棟を組み合わせた新3号館の1階ホールは、懐かしの中庭を彷彿とさせるデザインで、新しさと歴史を兼ね備えた新校舎となっています。
国際文学館(村上春樹文学館)
教室棟として隈研吾が設計。村上春樹ライブラリーとして利用されています。2021年にオープンしました。建物の建設費用は柳井正(ファーストリテーリング会長)の寄付によるものです。 隈研吾、村上春樹、柳井正と、早稲田出身者の名前が出てきます。ここには村上春樹の作品すべてを所蔵しています。外部の竹のモニュメントはトンネルを抜けると別世界が見えることを表しているそうです。所蔵している村上春樹作品をは閲覧することができます。
坪内逍遥記念演劇博物館
坪内逍遥は早稲田大学の創立に貢献した英文学者であり19年間の歳月をかけた「シェイクスピア全集」の翻訳完成を記念して演劇博館が建設されました。
演劇博物館の正面横(向かって左)にある「講義中の逍遥」と題する銅像の右手と握手をすると、「早稲田大学に入学できる」「語学の成績が上がる」などといわれています。参加者の皆さんはつぎつぎと右手と握手をしていました。







総合学術情報センター
道路を渡り、向かいにある施設に移動します。向かって右の国際会議室と左の中央図書館があります。中央図書館では毎日1万人の学生が利用しており蔵書は28万冊を超え、調べるのにない資料はないと言われています。(ちなみに一般市町村の図書館は蔵書5万冊程度だそうです)
総合学術センターがある場所はかつては野球場になっていました。早稲田の野球といえば、慶応大学との「早慶戦」が有名ですが、この場所で最初の早慶戦が行われました。これがきっかけで、後の東京六大学野球に発展してゆきました。歴史的な場所です。
大隈銅像
再び道路を渡ってキャンパスに戻りますが、敷地のほぼ中央に「大隈重信」の銅像があります。イギリスの大学風の角帽をかぶり、マントを羽織っています。銅像ではわかりませんがこのマントは「緋色」をしていたとのことで「緋色」は早稲田大学のシンボルカラーとなっています。(緋色とは少し暗い感じの赤系の色です)
大隈公園
大隈重信の邸宅跡地は公園となって解放されています。多くの参加者の皆さんは、大隈庭園にも足を運んでいましたが、庭園の一部には入ることができなかったとのことでした。
大隈とメロン
大隈重信は日本人で最初にマスクメロンを食べ、最初にマスクメロンを栽培した人物といわれています。早稲田の庭園でマスクメロンを栽培し、マスクメロンの品種も開発しています。その品種名は、もちろん「早稲田」です。




夏目漱石関連施設
早稲田大学を見学した一行は、夏目漱石山房記念館に向かいます。文豪夏目漱石は新宿区で生まれ、新宿区で一生を終えています。終焉の地には、新宿区立「漱石山房記念館」と「新宿区立漱石公園」があります。
まず、漱石公園に向かい、「吾輩は猫である」の猫の猫の墓といわれている石碑に行きます。実際には、太平洋戦争などで墓は壊れてしまい、残った石を集めて修復した2代目の墓であり、また漱石が飼っていたペットも一緒に埋葬されているといわれています。
漱石山房記念館
漱石が終焉前の約9年間生活した場所は現在新宿区立の「漱石山房記念館」と「漱石公園」となっています。一時期は都立住宅がありましたが、現在その場所が「漱石山房記念館」となって漱石関連の展示を見ることができます。ここでは自由見学となり参加者はそれぞれ自由に漱石の功績を振り返っていました。喫茶コーナーで休憩する人や、記念品を買う人、展示の説明をしっかり見学する人などそれぞれ楽しんでいました。



この後、漱石生誕の地を訪れて本日のコースは終了です。生誕の地には石碑がありますが、狭い道路に面した場所なので漱石山房記念館の前で生誕の地の説明をするとともに、来月は休会、次回は2月例会の説明がありました。漱石生誕の地の石碑を見学した一行は解散です。忘年会に参加される14名の皆さんはすぐ近くの中華料理店「川芙蓉」に向かいます。忘年会に参加しない人は道路向かい側にある地下鉄「早稲田駅」に向かい家路を目指すことになりました。














2月例会は「老いの科学」と「大規模災害対応の体験」をする、これまでとは変わった例会を実施しますので、多くの会員の参加をお待ちします。
忘年会では、四川料理でしたが、日本人の好みの味に合わせて辛さを抑えた四川料理でそのおいしさに皆さんは大満足していました。宴会が進んできたとき、突然、サンタさんの登場です。プレゼントは大きな袋に入っていますが、自分で好きなものを取り出すことで皆さん、何が当たるか一喜一憂ながらもらったプレゼントを楽しんでいました。
記事作成 柿本政昭
写真撮影 北村卓士
迎居健一
柿本政昭







