文学青年私記 ⑥

四季酩酊 第83回

  女性の街

酒坊

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「基坂」社屋は坂の下にあつた

函館は圧倒的に女性が多い街だった。それも若い女性が多い。大きな企業は日魯漁業と函館ドックで働く場が少ない。男は札幌か東京などの大都会に出ていくが、女は地元に残るが仕事が無かった。あるのは夜の仕事だった。隣接の漁村の男たちは北洋漁業で半年はいない。女は船に乗れないから家に居た。

高度成長を迎える前の昭和38年の地方は貧しかった。売春防止法は数年前に施行されていたが、松風町の繁華街をちょっと離れた広いグリーンベルトの両側には100m以上も立ちんぼの女性が並んでいた。プロに混じって素人の女性たちも多かった。夜の松風町路上の名物「つぶ焼き売り」のおばさんがやり手ばばあだったりした。

社屋兼寮のある十字街はかって函館一の繁華街であったが、昭和9年の大火で大

十字街電停
十字街電停

門・松風町に移って行った。仕事を終えると銭湯に行き、隣の焼き鳥屋「毛手幸(もてこう)」で飲むのが日課になった。親父は無口で恐そうだった。昔、憲兵か特高だったと噂を聞いた。優しい奥さんと可愛い娘の三人できりもりしていた。銀座通りの名前が残っていて、バアも何件かあり、札幌出身のKさんの馴染みの店に連れて行って貰ったりしたが、『灯りさざめく松風町』のざわめきにはとても敵わない。サービスの先輩Nさんは函館が実家なのに私と銭湯に行き、毛手幸で呑んだが飽き足らず、タクシーで松風町に飲みに行き、翌朝、風呂道具を抱えて出社したこともあった。

仕事を終えて寮に帰ると誰もいないから飲みに行く。飲んで帰るとまた誰もいない。松風町の浅草小路に「夜」というバアがあって、そこにみんな居た。私は常連ではない。同じ小路の二階にあったネグリジェバア「スマイル」に私と同年齢の経理のUが常連だった。通い始めて小津江を知った。函館は「恋の街」だった。

函館の夜は煌めく恋の街  酒坊