俊秀先生 ご逝去

四季酩酊 第108回

酒坊

大木俊秀先生が7月1日、87歳で逝去された。

▼1930年(昭和5年) 横浜に生まれる。
▼1953年(昭和28年) 早稲田大学政経学部卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。
▼1958年 (昭和33年)静岡へ転勤。榎田竹林氏と出会い、川柳の創作を開始。のちに名古屋転勤後、森田照葉氏らの推薦によって「番傘」同人となり、本格的に作句活動に入る。
▼1983年 (昭和58年)NHK津局放送局長就任。
▼1986年 (昭和61年)NHK学園川柳講座の編集主幹に就任。
●全日本川柳協会理事●番傘川柳本社同人 など

「とうりゅう会」発足と同時に色々な川柳作家の入門書で勉強を始めた。川柳関係の本は大きな書店にも置いてないので、古本屋かAmazonで調達している。その中に『俊秀流川柳入門』があった。

・肝臓に会って一献ささげたい
・盃に散る花びらも酒が好き
・酒くさき人に抱かるるための酒
・お茶がわりなどと嬉しい泡が出る

酒好きな人だと思った。それに判りやすい句だった。その先生が立川で勉強会をしていると聞き、さっそく入会した。2013年2月だった。初めての参加で天をいただいた。課題は「分ける」で、
・七三に分けて今日から丸の内  酒坊
嬉しかった。出席者は30名前後だった。4時半頃に終ると居酒屋で懇親会を行うが、先生はなみなみと注がれた「八海山」のコップ一杯を飲むのが決まりだった。その後にカラオケに行く。抒情的な歌を唄ったが、鍛えられたアナウンサーの声に魅せられる。

先生は病気と闘っていた。腸捻転になり人工肛門をつけたりで、声に張りがなくなってきたのが解かる。それでも披講(入選句を詠みあげる)になると人が変わった。何の淀みもない。相模原から立川まで娘さんが送迎するようになり、酒の席も歌もなくなった。「川柳に生かされているんですよ」と常に言っていた。「皆さん上手いですね。わたしはこんな句しか作れなくてね。『奥さんの刈った髪だとすぐわかる』」
そして7月2日、東京みなと番傘川柳会で訃報を聞いた。

・うしろ手で鍵をおろしたのは女
・抱きしめて着痩せしているなと想い
・誰だカレーをこんなに辛くした奴は

解かりやすくユーモアがあり酒が好きで女性に好かれる先生であった。 拝跪

肝臓に会って一献ささげたい  俊秀