第297回 26年2月例会「世田谷の歴史散策とサザエさんに出会う」実施報告

実施日  2026年2月21日(土)
天候   春を思わせる暖かい晴天気温18℃
参加者  21名

               世田谷代官屋敷前にて

1月例会は計画した休会でしたので、久しぶりの健康歩こう会例会となりました。参加される皆さんは元気に東急世田谷線「宮の坂」駅に集合しました。
集合場所の宮の坂駅周辺には昼食をとることができる場所がないことを、事前にメールでお知らせしておりましたが、食事をとらずに集合場所に集合する人もいました。コンビニで昼食を買っていただくことにしたり、少し遠くの食事をする場所についてもご案内しました。幹事として皆さんに情報をお伝えすることの難しさを改めて感じました。

例会コース地図    >>>>>>>  リンク

参加者にお渡しした資料>>>>>>>  リンク

訪問した各見学ポイントに関しては上記の「参加者にお渡しした資料」にリンクして説明していますので、各見学ポイントは、参照にしてください。

集合場所の宮の坂駅前の広場にて

〇今回のコース概要
〇世田谷区の概要
〇東急世田谷線について
〇世田谷線の猫電車について

などにつき、今月コースリーダーの柿本より説明がありました。

宮の坂駅前の広場で説明をしているとき、猫電車が運行されてやってきました。また、宮の坂駅まで猫電車に乗ってきた人もいました。世田谷線の猫電車は特別に親しみを感じます。

世田谷八幡宮

この後すぐ近くにある「世田谷八幡宮」に向かいます。
900年以上前に創建された神社で、世田谷地区の鎮守様となっています。
陸奥(奥州)守を命ぜられた源義家が無事に奥州を平定し、その帰途、天候回復を待つため世田谷の地で足止めをされたが、この度の戦勝は日頃より信仰している八幡宮様のおかげと、この地に八幡宮を建立しました。その後この地を治めた吉良氏、井伊家などから世田谷の鎮守として保護されて現在に至っています。
源義家が八幡宮を勧請した際、境内で奉祝相撲を実施したことより、現在も秋の例大祭の際、相撲が奉納されているとのことです。神社で相撲場が残っているところは珍しいためか、参加者の皆さんは相撲場を経由して本殿に向かう人がほとんどでした。

豪徳寺

吉良家が、応永年間(1394~1426)頃に世田谷城を整備された際にこの場所は吉良氏の居館とされていたようです。秀吉が小田原北条を亡ぼして世田谷城は廃城とされましたが、その後世田谷の地を管轄した彦根藩井伊直孝が菩提寺として伽藍を創建して整備しました。
正面にある山門の前で豪徳寺の歴史などを説明していたところ、参加者から「山門にある扁額は何と書いてあるの?」との質問がありました。コース担当の柿本も事前勉強不足を反省しつつ「わかりません」とお詫びしましたが、達筆で書かれており文字そのものがどのような文字か読むことができません。豪徳寺の山号は「大谿山(たいけいざん)」ですが、そうとは読めません。帰宅してから調べましたが、「碧雲関」と書かれており「へきうんかん」と呼ぶそうです。井伊家第4代藩主 井伊直興(なおおき)の筆であることもわかりました。


「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味するそうです。説明リーダーの事前調査不足をお詫びします。ちなみに、山門からまっすぐ進んだところに位置するお堂(仏殿)には「弎世佛」の扁額がありこれは「さんぜいぶつ」と読み「現在・過去・未来の三世を意味する」とのことです。
一行は仏殿の前から左に折れて、三重塔方向に進みます。三重塔は2006年(平成18)に建立されたとのことですが塔の1階と2階の屋根下に招き猫の彫り物があります。そのまままっすぐ進んで、井伊家の墓所にお参りします。ここには井伊家の歴代藩主・正室などのお墓が並んでいます。江戸における井伊家の発展に重要な働きをした2代目井伊直孝と13代井伊直弼(大老)のお墓にお参りします。

墓所にお参りした一行は「招福殿」に向かいます。
井伊直孝がこの地を訪れた際、猫に招き入れられたことで雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたと大いに喜んで後に井伊家の菩提所にしたそうです。招福殿には数多くの招き猫が納められており、それを見学する人や写真に納める人も大勢います。海外からの旅行者の姿も多く見受けられました。招き猫は、願いがかなった人がお納めしてゆくとのことです。多くの招き猫が居るのに驚きました。ここの招き猫は、右手を挙げていますが小判などは持っていません。人を招いて「縁」をもたらしてくれるが福そのものを与えてくれるのではない。という意味があるそうです。


招福殿の後方を回り招き猫を見学しながら正堂(本堂)前に出ますが、残念ながら現在工事中で幕がかかっています。今年3月までと書いてあり、しばらくはお参りできません。
ここで、しばらく休憩としました。ご朱印をいただくために社務所に向かう人、トイレ休憩をする人などそれぞれの時間を使いました。

世田谷城祉

応永年間(1394~1426)に吉良氏の居館として整備されたものと考えられています。現在の豪徳寺の敷地あたりが居館があった場所と考えられています。
吉良氏は小田原北条と姻戚関係を結んでおり、小田原城の支城だったので天正8年(1590)に小田原城が豊臣秀吉に滅ぼされると世田谷城も廃城となりました。吉良氏は、室町幕府の足利尊氏の系統筋にあたり現在の愛知県西尾市の吉良地区に根付いたので、吉良と名乗りました。吉良氏と言えば、多くの人は忠臣蔵の「吉良上野介」を思い浮かべると思います。世田谷城の吉良氏は忠臣蔵の吉良氏の系列につながります。
今は、公園として残っていますが石垣や空堀のあとが少し残っています。空堀、石垣跡などを散策しました。

ボロ市通り

この後世田谷代官屋敷に行くために東急世田谷線「上町(うえまち)」駅方面に向かいます。
世田谷代官屋敷前の通りを中心として毎年年末にボロ市が開催されます。発祥は小田原北条氏が、天正6年(1588)に「楽市」を世田谷で開催しました。織田信長が開催した「楽市楽座」と同じ考えです。当時は、毎月1の日と6の日に開催されたので、「六斎市」などと呼ばれたりしました。これにより世田谷の街は一層にぎやかになり発展しました。しかし北条氏の滅亡に伴い六斎市も自然と消滅していきました。いつのころからか年1回、年の暮れに実施されるようになり(明治になり)新暦が使われるようになると12月の15日・16日の両日並びに1月15日・16日にも開催されるようになり現在に至っています。
取り扱う品物としては生活用品全般でしたが明治20年代位ごろには、古着、ボロ布などが主流となり明治の終わりごろには「世田谷のボロ市」と呼ばれて定着してきました。

世田谷代官屋敷

吉良氏が世田谷の地を治めていたころから、周辺の15ゕ村(のちに20ゕ村)の取りまとめ役として世田谷代官が設置され、大場氏がこの任に当たりました。小田原北条が滅びるとともに世田谷城も廃城となり吉良氏は房総に逃亡しました。代官の大場氏はこの地に残って農業をしていましたが彦根藩井伊家が世田谷にやってくると、この地のまとめ役として再び大場氏が代官職を拝命しています。

世田谷領は井伊家上屋敷を支える役割をしており、代官の仕事としては
・年貢のまとめと藩に収める。
・地域の防犯。
・年中行事や生活上必要な品を調達する(正月用のお飾り、節句の餅や菖蒲、蚊取りの杉葉、入浴剤の桃葉 などの調達)
・井伊藩上屋敷での役務(草取り、庭木の手入れなどの人夫)を世田谷の各村から手配する。
などの多くの役割りをもっていました。


代官屋敷は、土間づくりの「台所」や、板の間の「居間」などは、江戸時代の大きな農家の作りのようでしたが、上屋敷から役人が来た場合の「役所の間」(仕事の部屋)や次の間(仕事の部屋・休憩の部屋)などもあります。(これらの部屋はもちろん畳が敷いてあります)注目すべきは、「切腹の間」があります。代官が何か失敗をしたら腹を切る覚悟で仕事にあたっているし、もしそうなったらこの部屋で自刃をするためです。
この部屋で切腹をした代官はいなかったそうです。
もう一つ注目したいのは屋敷の外に「白洲跡」があります。皆さん口をそろえて「白洲にしては小さいね」という印象でしたが、この白洲は、大岡越前のドラマのような白洲とは違う意味がありました。
上屋敷から役人が来て、周辺の村の代表に用向きを伝える際、村の代表が白洲に正座して役人から通達を聞いた場所です。15ゕ村(のちに20ゕ村)ですから実際には白洲はもっと大きかったと思いますし場所も現在とは異なると考えられます。しかし、テレビドラマの白洲と異なり、石ころの並んだ白洲に座るのはかなりの苦痛ではなかったかと想像できます。
ちなみに、代官には現在で言う「裁判権」はありませんので罪人を裁くことはできません。(ドラマのように、奉行所が「お裁」きをします)

世田谷郷土博物館

昭和39年(1964)、世田谷区制30周年記念として開館しました。郷土の貴重な文化財を後世に受け継ぎ区民の教養の向上、学術研究の一助とすることを目的としています。
収蔵資料が多くなったことから昭和62年(1987)に新館を増築しました。令和5年(2023)に設備改修工事による休館がありましたが常設展示の内容を新たにして再開館しています。
参加者の皆さんは、これまでの世田谷城、豪徳寺、代官屋敷など、展示されている内容で、改めて世田谷地区がたどってきた歴史について思いをはせていたようでした。

浄光寺と実相院

世田谷郷土歴史館を後にしていよいよ長谷川町子のサザエさんに出会う旅になりますが、その前に2つのお寺に立ち寄ります。

一つは「浄光寺」です。
ここは、代官を務めた大場氏の菩提寺です。大場家が活躍した代官屋敷のすぐ近くにあります。門前で説明のみで次に向かいます。
もう一つは「実相院」です
小田原城の敗戦に伴い世田谷城も廃城となったことから、世田谷を治めていた吉良氏は房総に逃亡しました。しかし、徳川家康の世になったことから、再び世田谷に戻ってきて、世田谷地区を治めたいと幕府に願いましたが思いはかなうことはなく、この実相院で隠居生活を送っていたとのことです。

長谷川町子美術館・記念館

実相院からは約1.5Kmになりますが、今日のコースでこの区間が歩行距離の一番長い所です。歩くと、信号待ちなどで最前部と最後部の距離が開いてきますので前を歩いている人は、何度か間隔詰めをしながら歩きました。疲れが重なり、最初に比べるとかなり遅くなっていることも気にしながら、目的の長谷川町子美術館を目指します。田園都市線の「桜新町」駅を過ぎ、「サザエさん通り」に入るともうすぐです。サザエさん通りにはあちこちにサザエさん一家のイラストが描かれており、銅像もあり、幼いころのテレビや漫画本でサザエさんに親しんだ思い出がよみがえってきます。

美術館は、長谷川町子が姉とともに収集した美術品を展示しています。
記念館は、漫画「サザエさん」や「意地悪ばあさん」など作品の資料が展示されています。記念館には販売コーナーや、喫茶コーナーもありますので、ここは約1時間の自由見学としました。展示してある、サザエさん一家のイラストなどを見ながら「磯野サザエ」という人が居ましたが、サザエさんは、マスオさんと結婚したので名前が変わっています。サザエさんが結婚して苗字が変わったこともうまく理解されていないようでしたが名前が思い出せないという会員も見受けられました。正解は「磯野」と「フグ田」です。
1時間でも見切れないくらいの多くの美術品、資料の展示がありましたが、5時30分の閉館の案内に従い退館し記念館の前にて本日の歩こう会の閉会のミーティングをしました。

本日の終わりに

世田谷区は23区で最も人口が多く(世田谷区より人口が少ない県もあります)高級住宅地として知られていますが、歴史を振り返ると吉良上野介之の系列が出てきたり、NHK大河ドラマの「おんな城主直虎」の話で有名になった井伊家が出てきたりなど歴史の好きな人はもちろん、そうでない人も楽しめるウォーキングでした。

柿本会長と次回案内役の伊東幹事から

〇 2026年度の年間予定表をお渡ししたので、日程をご自身の予定表に記入して多くの人の参加をしてほしい。
〇 健康歩こう会は社友会の同好会のうちでも奥さま同伴で参加できる同好会です。次回から是非奥様を誘って参加してほしい。健康歩こう会では「おしどりキャンペーン」を実施しますとの連絡がありました。

〇 次回コースリーダーの伊東幹事から次回のコースは、「宙・空」として宇宙のこと・空の旅に関連する場所(JAXA、国立天文台、調布飛行場)を歩くコースで、多くの参加をお待ちしています。の説明があり、解散となりました。それぞれ桜新町駅まで向かって帰路につかれました。

「おしどりキャンペーン」案内パンフレットはこちらです >>>>>> リンク

健康歩こう会 2026年度年間計画はこちらです >>>>>>>>>>> リンク

文章    柿本 政昭(3256)
写真提供  有田 知義(2586)
      辻井 勝  (3161)
      迎居 健一(4944)
      込山 廣明(5871)
      伊東 哲也(7099)
      柿本 政昭(3256)

    第297回 26年2月例会「世田谷の歴史散策とサザエさんに出会う」実施報告” に対して4件のコメントがあります。

    1. 山村伸明 より:

      6665 山村 伸明です。
      健康歩こう会
      スタッフのみなさま 参加のみなさま方
      お疲れさまでした。
      初めて乗った「東急世田谷線」始発のホ一ムで待つ電車、駅舎・・・
      都心とは想像がつかないまま家屋の隙間を通り抜け、宮の坂駅に着きました。世田谷八幡宮、豪徳寺は彦根藩井伊家との関係は興味深く井伊家の菩提寺にもお参りできました。また、重要文化財に指定されている世田谷代官屋敷は子供の頃の実家の間取りに少し重なるところがあり縁側、土間のかまどなど懐かしく思いました。
      配布の資料を読み直し、とても勉強になりました。ありがとうございました。

      1. 柿本政昭 より:

        山村さん

        担当した柿本です
        コメント頂き有難うございました。これからも参加していただく皆さんに喜んでいただける例会を目指して頑張ってゆきたいと考えます。これからもよろしくお願いします。ご家族の皆さんも参加していただけると嬉しく思います。

        1. 山村伸明 より:

          柿本さん
          ありがとうございます。
          多くの方に参加してほしいですね。私は定年退職後10年ぐらいは社友会には入らなくて最近入会しました。当地での知合いは一名の方でお誘いを受け入会しました。知らない方の苦労話しを伺うのも
          当時の自身はどうだったかと、遠い記憶を・・・・いいですね。6665 山村伸明

          1. kakimoto より:

            山村さん
            コメント頂き有難うございます。
            同好会でそれまで知らなかった人とも友人関係を築くことができました。意外と共通の知人が居たり
            しますし、知らなかった仕事の苦労もわかってきます。同好会で知らなかった人と話すことで友人を
            増えることは楽しいことの一つですね

            柿本 政昭(3256)

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