第270回健康歩こう会5月例会「板橋から池袋まで」を実施しました。
実施日 2023年5月20日(土) 参加者 19名
昨日からの雨が当日早朝に漸く止んで曇り空の中、都営三田線「板橋区役所前」駅に、健康歩こう会会員19名の皆さんが、早めの11時に元気に集合しました。今回特筆すべきは、先輩の「森本幸次」さんが参加されました。このコースは昨年9月例会で実施予定でしたが、生憎台風14号襲来で、天候不順にて中止と成って今回再挑戦したものです。今回は「板橋から池袋迄まで」のコース、板橋区、北区、豊島区、3つの行政区をみんなで楽しく歩きました。

板橋・仲宿を背景に集合写真
スタートに先立ち柿本会長より、奥様同伴で参加して頂く事の説明がありました。(参加者数の増加の為に)。続いて6月13日実施する社友会東京支部総会(池袋サンシャインにて実施)に多くの会員の参加をしてほしいとの案内があり、新しい会員の入会を増やす施策としての「準会員制度」の紹介がありました。コースリーダーより5月例会の見どころを案内してスタートしました。
- 集合場所
- 会長挨拶
- コースのご案内
■ 一つは「旧中山道板橋宿巡り」です。江戸五街道の一つで、東海道に次ぐ主要街道の中山道は草津宿(滋賀県)で東海道と合流しますが江戸日本橋から草津まで67宿・129里余(約508Km)で峠越えという難所が多く冬場の寒さや降雪などもある過酷な道中でした。東海道より約40Km長いが川止めが少ない事や旅籠の宿代が約2割安かったことから利用する大名や旅人は多くありました。今回は江戸日本橋を発って最初の宿場町、「板橋宿」を巡ります。
二つ目の見どころは、加賀公園(加賀藩下屋敷跡)です。また午後に新撰組局長「近藤勇」の墓も巡ります。
三つ目の見どころとして「巣鴨プリズン跡です」池袋巣鴨の、東京拘置所跡は第二次世界大戦後にはGHQの「巣鴨プリズン」として使われ、極東国際軍事裁判の判決後、ここで戦犯の死刑が執行されました。「永久平和を願って」の碑が公園の片隅に戦後建てられています。
■ 行 程 板橋区役所前駅 ― 板橋宿本陣跡 ― 板橋 ― 加賀公園 ― (昼食休憩)― 板橋観光センター ― 近藤勇の墓 ― 東池袋中央公園(巣鴨 プリズン跡) ― JR池袋駅東口(ゴール) 解散、 (歩行距離 約 8Km)
【板橋宿】
日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町です。 東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、奥州街道・日光街道の千住宿とならび、江戸四宿の一つとして栄えました。 江戸の境界にあたり、江戸後期には上宿の入り口にある大木戸より内側をもって「江戸御府内」「朱引き」、すなわち、「江戸」として扱われていました。板橋本陣と、上宿・中宿・平尾宿の3か所に脇本陣が有りました。 (板橋宿の距離数は 約2.2Km)
初めに旧中山道通りに入って中宿商店街を暫く歩くと、板橋宿本陣跡の案内柱が立っていました。
【板橋宿本陣跡】
代々新左衛門を世襲した本陣飯田家の屋敷跡です。参勤交代で通行した大名や幕府の公用の武士、僧や公家などが休憩しました。本陣は、街道を通行する大名などの休泊施設ですが、江戸より2里半(約10Km)の近距離にある板橋宿では、宿泊に用いられることは少なく、主に休憩所として利用されました。板橋宿本陣は古くは飯田新左衛門家ら数家で務めていました。宝永元年(1704)、当家は飯田本家より別家していますが、その際、世襲名「新左衛門」と本陣・問屋役を引き継いでいます。併せて、屋敷地359坪、田畑1.5町余(約1万6000㎡)の広大な土地を譲り受け、当地に本陣を構えました。
次は近くの中宿脇本陣跡に立ち寄りました。
次は近くの中宿脇本陣跡に立ち寄りました。
【中宿脇本陣跡】
元々は飯田家の総本家です。板橋中宿の名主と問屋役、脇本陣を勤めました。文久元年(1861)公武合体で皇女和宮が14代将軍徳川家茂に降嫁の際には宿泊所と成り、また明治天皇の大宮氷川神社行幸や皇族の地方巡見の際は休憩所と成っています。慶応四年(1868)の岩倉具定率いる東山軍の本営でもありました。
- 中宿脇本陣跡
次は、もう少し中宿通りを下りながら地名にもなった板橋が見えて来ました。板橋と中宿を背景に集合写真を撮りました。
【板橋(いたばし)】
中山道が石神井川を渡る地点に設けられた橋で、この名前が、地名の由来と成ったとも言われています。文献にも「板橋」の名は見られて、鎌倉時代には既に地名にもなっていたと考えられます。江戸時代以降は中山道が下板橋を通るようになったためにそちらを指すようになりました。中山道の江戸を発ってから最初の宿場町。広大な加賀藩下屋敷がありました。花見の頃に成ると石神井川上流から下流まで、桜の花が咲き誇り賑わいました。
昼前に成りました。次に向かうは加賀公園、加賀藩下屋敷跡地巡りです。石神井川の桜並木通り(桜1000本)を下りながら約30~40分、休憩しながら歩きましたが、疲れた様子でした。帝京大学がありました。流石、広大な加賀藩下屋敷が有った跡地だけに、住所も加賀1丁目、2丁目と成っています。今は周りはマンションが立ち並んでいます。
【加賀公園(陸軍板橋火薬製造所跡)】
板橋区加賀周辺は江戸時代の加賀藩下屋敷の跡地です。加賀公園は加賀藩下屋敷の庭園にあった築山跡地です。明治初期に官営の火薬工場が建設され、太平洋戦争終戦まで置かれていました。煉瓦造り建築物の物理試験室や鉄筋コンクリート造り建築物の燃焼実験室、弾薬の性能を実射し検査した弾道管、露天式発射場の土塁や射垜(しゃだ)など、当時の建築物や遺構が現存し、2017年に国の史跡に登録されました。
加賀前田家下屋敷は、江戸時代の延宝7年(1679)2月、5代藩主の前田綱紀が、4代将軍徳川家綱から6万坪を拝領したのが始まりです。その後数回の替地拝領を経て、最終的に総面積は21万7千坪余りと成りました。下屋敷は、前田家の参勤交代途中の休息、狩猟、散策などに利用されました。
加賀公園や下屋敷跡を見学して、昼過ぎと成りました。今回は途中で昼食と休憩時間を設ける様にしましたので、王子新道を歩きながら中宿方面へ戻りました。
【王子新道の石碑】
明治21年(1888)、板橋町の住民が北区王子の工業地帯への道の開設を願い、寄付を募って完成した道路です。江戸時代は広大な加賀藩下屋敷が有り新道が課題でした。正式には「王子板橋間道」です。
自由昼食後に集合して、近くの「板橋観光センター」へ向かいました。
【板橋観光センター】
旧中山道板橋宿に関する展示室です。ガイドの畑田さんが約40分間熱心にわかり易く説明して頂きました。旧中山道板橋宿全般に亘って、加賀藩下屋敷について、新撰組局長近藤勇のお墓供養塔について、皇女和宮下向降嫁(宿泊)、縁切り榎(えのき)等、展示品を活用されて、実感体験出来ました。お蔭で楽しく幅広く学習出来ました。
板橋観光センターの皆さんにお礼を申し上げて次は近くの「平尾脇本陣跡」に立ち寄りました。
【平尾脇本陣跡】
平尾宿の名主と問屋役、脇本陣などを勤めていました。
新撰組局長近藤勇は、板橋宿に駐留していた東山道総督の下に護送されました。その後、ここ平尾宿の豊田家に約20日間、幽閉軟禁されながら取り調べを受けて、宿のはずれで処刑されました。
旧中山道を下りながらJR板橋駅近くに在る近藤勇の墓に着きました。
【近藤勇の墓】
慶應4年(1868)、流山で捕らえられた新撰組局長の近藤勇は板橋宿にあった新政府軍の本陣に送られ、その後4月25日、板橋宿手前の平尾一里塚の刑場で斬首にて処刑されました。近藤勇の首は京都に送られましたが、残された胴体部分は板橋にそのまま埋葬されました。板橋のの処刑場近くの、かっての旧家の敷地に、隊士であった長倉新八らの手により、1876年に供養塔がが建立されました。土方歳三の名も併記され、敷地内には新撰組の慰霊碑も建っています。このお墓は処刑された近くに、現在の板橋駅東口前に建てられています。志なかばにして殺された近藤勇の首はどこへ行ったのか?しかし首が京都の三条河原にさらされたのは事実だし、近藤の遺体がどこに埋められたにせよ、多くのお墓があるという事は逆賊として処罰された近藤ではあるが、旧幕臣が時を得て次々に新政府の要人に成ったように、彼の名誉も大きく回復された証と言われています。
最後の見どころ、池袋方面の「巣鴨プリズン跡」に向かいました。少し距離数が有りますので、途中の公園で休憩しました。皆さん歩き疲れの様でした。
【東池袋中央公園(巣鴨プリズン跡)】
サンシャインシティ一帯は東京拘置所跡で、第二次世界大戦後にはGHQの「巣鴨プリズン」として使われました。極東国際軍事裁判の判決後、ここで戦犯の死刑が執行されました。「永久平和を願って」の碑が公園の片隅に戦後建てられました。第二次世界大戦で日本は敗れ、連合国の占領下に置かれました。東京拘置所は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の接収により「スガモプリズン」と改称され、戦争犯罪容疑者が多数収容されました。処刑場入口の13号鉄扉を通って、BC級戦犯52名が処刑されました。スガモプリズンはその後取り壊されて、跡地はサンシャインシティと東池袋中央公園になりました。巣鴨拘置所は、第二次世界大戦後に設置された戦争犯罪人(戦犯)の収容施設でした。東京都豊島区西(豊島区東池袋)の東京拘置所施設を接収し、使用されました。「巣鴨プリズン」「巣鴨刑務所」などと呼ばれたこともあります。極東国際軍事裁判により死刑判決を受けた東条英機ら7名の死刑が執行(1948年(昭和23年)12月23日)された場所としても知られています。
※ 「永久平和を願って」碑文
第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。昭和55年6月 。
尚、6年以上に及んだ「米軍の巣鴨プリズン」は1952年3月に終わりました。「巣鴨刑務所」と改称され、同刑務所の管理は日本政府の手に」移りました。戦犯刑務所として完全に閉鎖されたのは昭和37年3月29日と成っています。
以上で今回の例会コースは終了です。東池袋中央公園内で終了としました。柿本会長より、来月6月例会は「お茶の水・神田の新たな発見を求めて」の案内が有りました。例会もいろんなスタイルを工夫しながら取り組んで行く、話が有りました。
本日の例会は、江戸から明治、昭和戦後までの時代を巡る、旧中山道板橋宿、近藤勇の墓、巣鴨プリズンの跡地等、歴史散策のコースでもありました。移動の際、多少お疲れの様子も見られましたが皆さん頑張って楽しく歩いて頂きました。お疲れさまでした。
【ウォーキング風景】
文書作成 古澤律夫
写真撮影 北村卓士
〃 柿本政昭




