第271回 「お茶ノ水・神田の新たな発見を求めて」を実施しました
実施日 2023年6月17日(土)
天候 夏を思わせる暑い日(快晴)
参加者数 28名

神田明神にて みんなでパチリ この日は朝から暑かった!
真夏を思わせる強い日差しのなか、元気な健康歩こう会のメンバー28名がJR御茶ノ水駅「聖橋口」に集合しました。
今回は、午前10時の集合で、昼食をはさんでのウォーキングです。
新型コロナの対応方針が変わったせいもあり、32名の参加申し込みがありましたが、体調不良などの参加キャンセルがありました。新たに入会された時友育子さんも含め合計28名の会員が集合しました。
まずは新入の時友さんの紹介があり、その後本日のコース概略についてコースリーダーより説明がありました。多くの会員は、近くの秋葉原電気街に関連して仕事をした人も多くいたものと思いますが、そのすぐ隣の地域を探検するコースです。
江戸時代はこの辺りは武家屋敷でした。現在では明治大学、日本大学、東京医科歯科大学、順天堂大学などの大学や各種専門学校、予備校、学習塾など国内最大の学生の街として知られています。また、進駐軍の払い下げ楽器を取り扱ったことから日本有数の楽器店街に発展しています。学生の街であり、古書店街も発展しました。古書店街の近くでは、カレーショップが多くカレーを中心とするグルメの街でもあります。神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂などの宗教施設もあり、文化ゾーンともなっています。本日はこのような地域を歩きます。
周辺のショップは10時に開店するところが多く、30名近くの人数が集まると店に迷惑となりますので早速スタートです。
第1のポイントは「御茶ノ水」という地名の由来についてです。JR御茶ノ水駅御茶ノ水口に移動です、ここには御茶ノ水の地名の由来について説明されている石碑があります。ここ御茶ノ水は2代徳川秀忠将軍の時に内堀として神田川を作るため土砂を取り除く大がかりな工事をしました。この工事の前に、その北側にあった「高林寺」から湧き出る水を将軍秀忠のお茶の湯用に献上したことから「お茶の水」という地名が生まれたことの説明がありました。またここで「御茶ノ水」と「お茶の水」との違いについても説明がありました。ここで、コースリーダーから参加者へクイズが出されました。「神田川を掘るという大工事をした際に発生した大量の土砂はどこに行ったでしょう」という問題です。これの答えは後程ということで次のポイント「明治大学博物館」に向かいます。
- 御茶ノ水の石碑
- 説明を聞きながら・・・
- 御茶ノ水の地名の由来
明治大学博物館では商品部門、掲示部門、考古学部門と大きく3つの部門に分かれていますが、刑事部門などは特徴的な展示で知られます。大学史展示や阿久悠資料館も併設されています。新型コロナの関係で、自由見学となっていますので我々も、集合時間を決めて自由見学としました。
- 鉄の処女
- 博物館の展示
- 社友会総会の説明を聞く
明治大学の見学を終えたところで、リーダーから先日6月13日に実施された社友会東京支部総会の報告がありました。役員の交代並びに会則の変更について内容が報告されました。
さて、次のポイントは「おりがみ会館」です。襖師、表具師として上野寛永寺の仕事などをしていた小林幸助が開業したのが安政5年(1858)で創業170年を数える会社です。現在の社長が折り紙の普及に尽力されており各種メディアへの出演、雑誌への寄稿などで活躍され、折り紙の本も多数発行されており、海外も含めて各地で公演などもされています。今日はこの小林社長(みんなは館長と呼んでいます)がいらっしゃって、社友会のために実演をしていただきました。参加者はその達者な話術もさることながら、話をしながら手元を見ないでいろいろなものを折上げるという技にくぎ付けになりました。みんな折り紙で楽しみましたが、予定以上の時間を使ってしまいました。
- 小林館長の実演
- 瞬く間に出来上がる
- 展示されている作品
- 折り紙の材料も買えます
- これもおりがみ
- ウサギ年に こんな兎は
次は神田明神です。いつ訪れても多くの参拝者がいる神田明神ですがここで集合写真を撮影してから、参拝、お守りの購入、トイレ休憩などのため自由時間を取りました。神田明神は江戸108町の総鎮守として「明神さま」と呼ばれて親しまれています。徳川家康公が関ケ原の合戦に臨む際、戦勝の祈願をして出発しましたが9月15日神田明神の祭りの日に勝利を勝ち取り、天下統一に大きく前進しました。このことより徳川将軍家から、縁起の良い祭礼として「絶やすことなく執り行うよう」命ぜられたとのことで、神田祭は江戸三大祭りの一つに数えられています。(あとの二つは山王祭、深川八幡祭り)また、京都の祇園祭、大阪の天神祭りと共に日本の三大祭りと言われています。
- 境内の銭形平次の石碑
- 神田明神
- 夏越大払式
人数確認の後、湯島聖堂に向かいます。ここは、四代将軍家綱により建てられた孔子廟ですが、のちに幕府直轄の学問所となり「日本の学校教育発祥の地」とも言われています。受験シーズンには、近くの湯島天神とともに合格祈願に訪れる受験生も多く見られます。境内にある世界一大きな孔子像を拝見して次のポイントに向かいます。
今日はいつもより早めの10時集合でしたが、博物館、おりがみ会館の見学で時間を使ったので、おなかが空いてきましたがお昼ご飯まであと少しです。再開発された複合施設「御茶ノ水ソラシテイ」の前に三菱本社跡の説明看板があります。土佐から出てきた岩崎弥之助、弥太郎の兄弟が三菱社を立ち上げますが、この地は、弟の弥太郎が後藤象二郎の長女早苗と結婚する際、洋館を建設して住みました。その後兄の弥之助が逝去し、弥太郎が社長を引き継ぎましたが、三菱社の本社を敷地内に置きました。三菱は丸の内や三崎町とともにこの地も購入していました。
- リーダーの説明になるほど
- ソラシティは三菱だった
- 世界で一番大きな孔子像
ニコライ堂は、午後からの見学しかできませんので近くから説明のみとなりました。パレスチナで生まれたキリスト教ですが、西に向かっって広がったのがローマカトリックやプロテスタント諸数です。一方東に向かって広がったキリスト教がロシアで正教となりました。ニコライ堂はロシア正教会としての宗教活動をしていますが、聖教者のニコライは日本に来た際、まず北海道の函館に教会を作りました。(函館ハリストス正教会)その後東京のこの地に作ったものがニコライ堂とよばれています。
予約してあった中華料理店には、ほぼ時間通りに到着することができ、昼食タイムです。たくさんの種類がある店の定食を注文する人、暑いため冷やし中華を注文する人などそれぞれ好みの食事を注文して満足なお昼ご飯をとることができました。食事を注文して出来上がるまで、リーダーから先ほどの質問の答えが発表されました。神田川を作った際の大量の土砂は、当時「日比谷入り江」と呼ばれていた海を埋め立てるために使われました。日比谷入り江は現在の東京駅から日比谷公園のあたりです。この埋め立て地を武家屋敷として大名に割り当てましたが徳川は関ケ原の戦いで、西側についた(敵方だった)大名に割り当てました。ここは、埋め立て地なので、雨が降るとぬかるみがひどくまた、井戸を掘っても塩水しか出ないということで人が住むには困難な地だったようです。
午後からは神田青果市場跡の石碑からスタートです。近くに運河もあり荷物の運搬に便利であり人が多く集まる地域だったので関東大震災までこの地に青果市場がありました。震災の後は秋葉原に移転しました。近くには「二十二代庄之助最中」の看板が見えます。大相撲の行司として活躍されていた二十二代庄之助ですが昭和35年に定年となり、その後は息子さんが以前から経営されていた和菓子屋で軍配の形をした最中を作り「庄之助最中」として売り出しました。庄之助さんは既に他界されましたが、庄之助最中は今も買うことができます。
- 神田青果市場があった
- 午後の説明にもなるほど
- 庄之助最中
道路の向かい側には古い建物が散見されます。この辺りは奇跡的に大戦の空襲では焼けなかった地域で、関東大震災後に建設された建物が残っています。「神田まつや(そば)」「ぼたん(鳥すき)」「竹むら(甘味処)」「山本歯科医院」などがあります。「神田やぶそば」も老舗として営業していますが、残念ながら数年前に火災があり、今は新しい建物になっています。ノスタルジックな古い建物を見た後は「国鉄万世橋駅」に向かいます。
- まつや(そば)
- 釣り看板
- ぼたん(鳥すき)
- 竹むら」(甘味処)
- いせ源(どじょう)
- いせ源(どじょう)
明治22年(1889年)から営業を開始していた新宿、立川間の鉄道を都心まで延長しようとして万世橋駅が作られ、明治45年(1912年)から営業を開始しました。駅舎は東京駅を設計した辰野金吾の設計により、東京駅丸の内駅舎と同じ感じのレンガ造りの豪華なものでした。駅前には広場が作られ、市電も行き来するようになっていましたが、鉄道は大正8年に万世橋~東京駅まで延長され、万世橋駅は、通過駅となってしまいました。中央線の起点が変わったため、起点駅としての役割はわずか7年で終了しました。駅前の市電も撤去されるなど衰退の一方でした。昭和11年(1936)東京駅にあった交通博物館が移転してきたりして利用されていましたが昭和18年(1943)万世橋駅は廃止されました。
このような万世橋駅ですが、旧プラットホームは残されており登ることができます。プラットホームに通じる階段もほぼ昔のままで残されています。プラットホームに出ると安全のためガラス張りになっていますが、そのそばを現在も中央線の電車が通っています。ガラスがなくて、手を出せば電車に触れることができるのではないかと思うくらいです。
- 旧万世橋駅前広場
- 旧ホームへの入り口
- 万世橋駅の歴史に納得
- 昔の階段
- ホームの横に中央線電車
- 旧ホーム
一行は次のスポット「玄武館道場跡」に向かいます。玄武館は千葉周作によって開かれた北辰一刀流の道場です。ここお玉が池地区は学者町であったことで次第に門人が学問に接する機会が多くなってきたことや、道場の斜め向かいに柔術の道場ができ、両方の道場に通うものも増えてきました。幕末の時代背景としても、剣術・武術より学問という風潮が強くなってきたなどにより次第に玄武館道場は衰退していきました。
- 玄武館跡の石碑
- 説明看板
- 記念に「パチリ」
お玉が池種痘所跡の石碑に向かいました。この辺りに、「お玉が池」という大きな池がありましたが今は埋め立てられてしまってあとは残っていません。この池のほとりの茶屋に「おたま」という看板娘がいましたが、人柄も形も同じくらいの男二人が彼女に心を通わせ、悩んだおたまは池に身を投じてしまいました。亡骸は池のほとりに葬られたとのことですが、ここにお玉稲荷神社があります。池に身を投じたおたまの霊を鎮めるためのものです。
- 種痘所跡の石碑
- お玉稲荷神社
- 種痘所は東京大学医学部に
種痘所は、現在では「天然痘」と呼ばれるはやり病が流行した際の研究施設が設けられました。この施設が東京大学医学部の前身です。当時は牛の血清を注射することに人々の反発があったことから天然痘撲滅にかなり苦労をしたとの話もあります。
最後のポイントとして柳森神社に向かいました。三代将軍家光の側室になり、五代将軍綱吉の生母となった桂昌院ゆかりの神社です。八百屋の娘だったお玉が将軍の生母にまでなったことから他を抜く(たぬき)ことで玉の輿に乗った女性の桂昌院にあやかりたいと多くの女中たちがこぞってお狸様を崇拝したといいます。玉の輿というのは、桂昌院(お玉)が八百屋の娘から将軍側室になったことが由来とも言われています。
- 柳森神社
- 柳森神社
- 今日最後の説明
- 臨月のタヌキ
これで本日の健康歩こう会のコースは完歩です。次月は横浜市鶴見区を歩きます。来月のリーダーの有田幹事からコースのポイントについて説明がありました。JR海芝浦駅はある会社への通用口と公園があるのみという変わった駅で、ここから横浜港が見渡せます。そのあとは横浜ベイブリッジを歩いた後、キリンビール工場で出来立てのおいしいビールで乾杯をするというコースの紹介がありました。みんなで秋葉原駅までゆき流れ解散となりました。
「よくこんなところを探してきたね」との評価を大勢の会員からいただきました。仕事で秋葉原地区で活動した人、車でよく通ったという人も多かったものと思いますが、そのすぐ近くの知らなかったスポットを巡る歩き旅を楽しんだ一日でした。
参加されたみなさまお疲れさまでした。
スタート前のコース説明など
- 説明に聞き入る
- 時友さんの紹介
- 今日のコースは・・・
ウォーキング風景
- さあ 行くぞ
- 明治大学に到着
- 朝の内は元気です
- まだまだ元気いっぱい
- 会話にも花が咲きます
- 次の目的地はまだかな
- 階段はきついなぁ~
- 午後になり少し疲れて
文章作成 柿本政昭
写真撮影 北村卓士






















































