第65回「横須賀軍港&猿島要塞巡り」
日米海軍の軍艦が停泊している横須賀港を海上からのクルージングで間近に最新鋭の艦船を観察しました。昼食後は猿島の旧日本軍の要塞で長年立ち入り禁止とされていた兵舎・弾薬庫・砲台跡や旧陸軍の由緒あるレンガ造りのトンネルなど日頃は鍵の掛っている軍施施設なども専属のガイドさんの案内で内部まで見ることが出来ました。
穏やかな横須賀港の軍艦鑑察と新緑の小島の史跡探索で素晴らしい1日でした。
実施日:2024年5月22日(水) 天気:晴/時々曇
参加者 10名

五月晴れの穏やかな日和の下、元気な参加者10名は京急線「汐入駅」に集合しました。
久しぶりの参加者もいて暫くの間、賑やかな会話を楽しみました。
リーダーより、本日のコースの紹介があり早速軍港巡りの乗船チケットが配られました。このチケットにはいろいろの軍艦の写真が載っており、それぞれのを見せ合って蘊蓄交換に花が咲きました。




出航時間に合わせて出発ゲートに向かいました。赤いファンネル(煙突)に白と黒のスマートな遊覧船が入って来ました。今日は修学旅行の中学生も同船し、2階のデッキは賑やかなさでいっぱいになりました。




さあ、出航です。すぐ右手には米海軍第7艦隊の艦船が錨を下していました。期待した原子力空母「ロナルド・レーガン」は居ませんでしたが、修理・点検中のイージス艦やミサイル誘導艦など、また合同演習に参加の英海軍軍艦の姿もありました。




更に進むと海上自衛隊の艦船が多数見えてきました。8角形のプレート(レーダー)を持つ花形のイージス艦も停泊していましたが、日頃余り日の目を見ない脇役的な補給艦、救難艦など珍しい艦船を何隻も見ることが出来ました。
特に潜水艦が3隻も並んで、また帰還したばかりかネービーブルー姿や白いセーラー服の隊員が我々の船に向かって手を振って歓迎して呉れたのには感動しました。参加者からは「彼らの地道な活動で日本の海は守まれているんだ、感謝感謝だな!」との声が聞かれました。




ガイドさんの案内に参加者は右を見たり、左を見たりで脳裏にまた写真に素晴らしい光景を刻んでいました。約40分の軍港巡りでしたが、皆さんいろいろの艦船が見られて、また横須賀港の歴史なども勉強出来て、満足した姿で遊覧船を後にしました。
軍港巡り詳細は下記HPでご覧ください。
YOKOSUKA軍港めぐり (yokosuka-gunko.jp)
【ここでコーヒーブレイク、頭の体操です】問題は4問あります、楽しんで下さい。
問題1.軍港に面したヴェルニー公園はかって製鉄所がありました。その製鉄所を作る為
に地面を掘った時に出てきた化石は何だったでしょうか?
①クジラ ②象 ③ライオン
さあお昼になりました。港に隣接した「コースカベイサイドストアーズ」で参加者それぞれ好きなグルメを選んで堪能しました。海軍カレーを食べた人は居たかなあ!
次は「猿島」の探検です!
米海軍基地ゲートのある国道16号線沿いを約20分歩いて「三笠ターミナル」へと向かいました。途中には流石基地の街、水兵さんや家族ずれともすれ違い、非日常を感じました。




三笠ターミナルで案内のガイドさんと合流。今回は参加者の要望もあり、島内の史跡の詳しい解説をして頂けるように地元の公園専門ガイド協会に助けを求めました。
猿島へは約10分で渡ることが出来ました。ここでガイドさんから猿島の歴史や史跡のいろいろの説明があり、島巡りが始まりました。
「猿島」は、東西約200m、南北450mの緑豊かな無人島ですが、縄文・弥生時代の遺跡が
見つかったり、幕末・明治そして昭和の3時代にわたり砲台が築かれたり、歴史がいっぱいの魅惑的な島です。




猿島の名前は、建長5年(1253年)に日蓮上人が布教の為に鎌倉を目指して安房から三浦に渡ろうとしていたところ、途中で嵐に遭い、危機的な状況に陥っていたのを白い猿に助けられてこの島に辿り着いたという伝説によるものです。
また、幕末1853年7月にペリーが来航し、東京湾の測量を行い、海図を作りました。
その海図の猿島は「PERRY ISLAND」とペリーの名前が付けられました
幕末から終戦時にかけて、島は東京を守る為要塞化し、赤レンガのトンネルや緑に覆われた切通しなど、フォトジェニックなスポットが盛りだくさんです。 ガイドさんから猿島の歴史や史跡のいろいろの説明があり、島巡りが始まりました。
猿島探索詳細は下記HPでご覧ください。
猿島公園専門ガイド協会公式ホームページ – 猿島公園専門ガイド協会 (jimdofree.com)
以下探索した主なスポットです。








①電気燈機関舎
猿島には、水(水道)・電気がありませんので明治28年に竣工した蒸気機関の発電所
がありました。(因みに水は船で対岸から運びました。)
②塁道(切通し)と第二砲台
島の外から敵に発見されないように山を切り開いて塁道を作りました。塁道の壁面は
高さ5~6mもあり、ブラフ積みという石積みで、東側が明治10年代と思われるフラン
ス積みで、西側は明治30年代のイギリス(オランダ)積みと異なった模様が見られま
す。東側の壁の上には明治14年~17年に砲台が4門築かれ、壁面には兵舎や弾薬庫が
連なって美しい景観となっています。
③兵舎
砲台建築に伴って作られた兵士の住居で、総レンガ造りのボールド構造で内側は漆喰
で仕上げられています。入口の両側には窓が造られています。
④弾薬庫
弾薬庫の中には砲弾を上の砲台に上げる為の揚弾井が造られています。また入り口
脇には灯火を運ぶ通路が造られています。
⑤トンネル
長さ90m、高さ4.3m、幅4mの総レンガ造りのトンネルで道路用としては日本で一番
古いものです。トンネルの西側には兵舎・弾薬庫が造られています。
映画「天空の城ラピュタ」を彷彿させるスポットで人気の箇所でもあります。
⑥卯の崎台場跡
幕末に東京湾に多くの外国船が入ってくるようになり、猿島には3ケ所に台場が築かれ
ましたが、平地として残っているのはここだけで、他の2ケ所は明治に砲台を築く際に
取り壊されました。
⑦展望台広場
標高40mの猿島最高地点です。海を照らす探照灯や司令塔、監視所がありました。
この広場からは縄文時代の土器などが発見されています。
⑧12.7糎高角砲座
B29爆撃機に対抗する為、急遽終戦近くに建設されましたが、昭和20年7月18日の
横須賀空襲の時には電力不足で思う様には動かなかったとのことです。
猿島は古代から急峻な地形で、森には人が立ち入らず手付かずの状態が保たれた為、原生林が残され、貴重な動植物も数多く生息しています。
【ここでコーヒーブレイク、頭の体操です】
問題2.猿島には猿は生息しているのでしょうか?
①生息している ②生息していない
猿島の探索を終わり、フェリーで三笠ターミナルへと戻りました。三笠ターミナルに到着後は、三笠公園にある戦艦「三笠」前の「東郷元帥の記念碑」前で集合写真。みんな今日の「横須賀軍港&猿島要塞めぐり」に満足した良い顔をしていました。(冒頭写真)
最後はやはり横須賀に来たならば必ず行かねばならない「どぶ板通り」ですね。
米海軍横須賀基地の傍にある商店街で、大正時代この通りには川幅1m半位の下水が流れていて、車や人の往来の邪魔で、海軍より鉄板を提供して貰いドブ川を塞いだことから「どぶ板通り」と呼ばれるようになりました。
戦後米兵が落下傘の生地を持ち込み、それに刺繡を施してジャンバーに仕立てたのが「スカジャン」の始まりで、今ではお土産品として国内外で人気を博しています。
現在はミリタリーショップや外国人経営のショットバー、バーガーショップなどが軒を
連ね、海軍カレーやネイビーバーガーなど異国情緒を味わう観光客で賑わっています。
通りには横須賀に関係のある芸能人・スポーツ選手などの手形が敷き詰められています。




【ここでコーヒーブレイク、頭の体操です】
問題3.横須賀名物「海軍カレー」に付いているものは?これが無いと海軍カレーと言え
ないそうです。
①らっきょとビール ②福神漬けとコーラ ③サラダと牛乳
問題4. 猿島で終戦末期、B29への対応として設置された高角砲の口径は?
①12.7m ②12.7cm ③12.7mm
ここで今回の横須賀散策は終了となりました。
皆さん今日一日新しい横須賀の姿を発見し、満足した笑顔で解散しました。
次回は、7月例会は近場の山に挑戦します。丹沢の「大山」に登ります。
富士山の絶景を見ながら、一番登り易い「ヤビツ峠」から頂上を目指します。
奮ってご参加下さい、お待ちしております。
ギャラリーコーナー
①軍港巡り












②猿島探索












③どぶ板通り












文章寄稿:有田知義
写真提供:柿本政昭
込山廣明
【追伸】
前回3月例会「感動!鎌倉桜巡り」の問題の解答、正解は!
①大仏様の前で集合写真 右の写真の参加者の後ろの観光客が消えている。
②雷亭の「アカモク蕎麦」の写真 右の写真で添え物のアカモク椀が消えている。
③長谷寺正門前の写真 右の写真の提灯の文字が反転している。 でした。
皆さん正解しましたか?今月もまた楽しんで下さい。正解は7月例会後に。