30周年記念対談(元支部長西口さんと語る)

支部発足30周年にあたり、発足時からのメンバーで第三代の東京支部長、顧問を経験された西口孫一さんにお話をお伺いしました。場所はカラオケ同好会の月例会場で例会の始まる前の時間を頂戴して開催しました。

開催日時:4月6日(土)11:00~11:40
場  所:カラオケパセラ御徒町店
出席者 :西口孫一さん、渡部大さん(現支部長)、橋爪静夫(記/広報委員長)

対談内容: (以下お名前の敬称略)

橋爪

お二人が揃うカラオケ同好会月例会の前に時間を作っていただきありがとうございました。
本日は社友会東京支部30年の歴史を最初から体験された西口さんに思い出を振り返って語って頂き、会員の皆様と情報共有いただくため4月1日にオープンした支部ホームページの30周年記念サイト他に掲載させて頂きます。思い出の中の曖昧な部分は後で編集しますのでお構いなく語ってください。(笑い)

<草創期>1994~1995(H5~H6)

橋爪

それでは古い時代からのお話を伺います。
先ず1993年有志による準備会が発足と年表にありますが当時どなたが中心になられたのでしょうか。

西口

私が入会したのは1993年6月でしたのでちょうど準備に入った時期でした。当時中心になっていたのは植木(宏)さん(会員No.346)です。それに寺師さん(故人)と松野(浩二)さん(故人)が補佐をしていました。
翌年の支部結成式の写真には社友会太田会長(当時)が一緒に写っていますが発足のお祝に金一封を持参いただき、また会社側からも祝儀を頂戴して立ち上げの資金にしたと思います。

橋爪

社友会事務所は最初からありましたか?
資金不足だったと思いますが什器備品はどの様に調達したのでしょうか?

西口

最初は無かったと思います。暫くして支社機能が市谷ビルから移ったので、会社側が新築なった幕張ビル4階に事務所を用意してくれて電話・什器やコピー機なども貸与頂いたのであまりお金を掛けずにスタートすることが出来たと思います。
現在の社友会事務所の隣の部屋でしたが最初は現在の半分のスペースだったと記憶しています。
その後手狭になり現在の広さにして頂き幹事会など会議が出来るようになりました。

<成長期・発展期>1996~2005(H7~H17)

橋爪

第二代松野支部長時代で少し時間が飛びますが2000年に全国社友会に先駆けSTML(メールによる会員連絡網)が出来ました。西口さんはどうされましたか。

西口

私の現役時代パソコンの操作は担当者任せでしたが市ヶ谷ビルで小堺さん(故人)が講師でパソコン教室を開催してくれて私たち15名程が参加して習得し、即メビウスを購入してSTMLに登録しました。おかげで現在もパソコンは重宝しております。

橋爪

小堺さんがSTML創設に加え、このころ先ず「写そう会」のホームページを立ち上げ、やがて支部ホームページ開設に繋げていったと伺っています。

橋爪

西口さんは定年後暫くの間仕事をされていたと伺っていますが、この頃3大行事として新春年賀会、支部総会に加え秋の大懇親会(宿泊旅行)が開催されていましたが参加されていましたか?
またこの頃続々同好会がスタートしていますが社友会の皆さんの同好会活動に対する気運はどのようだったでしょうか。

西口

私は定年後久保副社長(当時)の紹介で再就職(古河グループ)して8年間勤務しましたが、何はさておき3大行事には必ず参加して来ました。
3大行事の懇親会時に各同好会会長と幹事が、同好会のチラシを配り入会勧誘をしていましたがこれは非常に効果があったと思います。
釣り同好会は私が会長となり10名で船を借り、釣った魚は各自が自宅へ持ち帰り喜んで食べました。
ボウリングにも最初のころ参加して表彰式の後、皆さんと食事をしながらの反省会が楽しみでした。

橋爪

働きながら参加できる社友会活動をもっと心がける必要がありますね。

<展開期・変革期>2006年~2014年(H17~H26)

渡部

永く続いた松野さんの後を受けて第3代の支部長に着任した時、心掛けようとしたことをお聞かせください。

松野さんが10年間支部長をされ色々ご指導を頂きました。退任を決意されたのか幕張の幹事会の帰りに「疲れたのでお前に支部長を任せる」と言われ一旦はお断りしたが、成田さん(当時副支部長のちに第四代支部長)と一緒に品川プリンスHで食事をしながら話し合いを重ね引き受ける事にしました。

心掛けしたのは先ず会員相互の呼び名を在職当時の役職名を普段使っていたのを改め、サンづけにしようと徹底しました。
また私の支部長の時、大懇親会(旅行)は幹事の負担が大きかったこともあり、代わって健康講座を開催して約100名(内奥さんが7名)の参加で好評を得てその後恒例行事として長く継続したと思います。
(註:健康講座は2009年から2017年まで8回シリーズで開催しました)

渡部

有難うございます。ほかに取り組まれたものがありますか。

西口

当時支部幹事が15名ほどいて毎月の会議開催費用が嵩むことから企業が取り入れ始めた執行役員にちなみ「執行幹事」を採用し会議内容を区別して経費を圧縮しました。

渡部

2011年東日本大震災が起きました。義援金を募り被災会員や東北支部に送ったと記録にありますが会員に対しどのような働きかけをしたのでしょうか?

西口

私が支部長になったとき、東北分会を分離独立させました。
間もなくのことでもあり、福島県地区の会員など東京支部の行事に参加していた顔見知りの会員もいて他人事ではなかったので緊急幹事会を開き、会員からの募金と支部からの支援を併せ15万円を東北支部に送金したと記憶しております。
中村東北支部長(当時)が各会員にメールで被害状況を確認した結果全員無事であつたと連絡が入り安心しました。

渡部

現在東京支部には会員在住の県(道)別に地区連絡員制度がありますが、最近では能登半島地震もあり、万が一の時に備えて会員安否確認など再整備が必要だと感じます。

橋爪

最後の質問になりますが支部長退任後も顧問として2015年度まで永い間ご指導いただきました。思い出に残る出来事や現在の社友会運営に提言したいことがあればお聞かせください。

西口

苦労もありましたが、当時支部行事には現在の倍以上の会員の参加で盛大に運営が出来、多くの方と知り合えたこと感謝しています。
今の社友会で感じていることとして入会者が少ないことが心配です。就業年齢が伸びたことが影響していると思いますが、私も働きながら活動に参加した経験があります。
もっと社友会の魅力を訴える機会を増やすことが必要だと思います。

橋爪

カラオケ同好会の皆さんも集まってきました。
時間でもありますので以上で記念対談を終了させていただきます。ご協力有難うございました。

対談を終えて

西口さんは卒寿を超えてなお、麻雀(平和会)や好きなお酒を飲みながらカラオケ(同好会)を唄うという生活サイクルを継続し、グランドゴルフ(ゴルフは卒業)や散歩で体を動かしておられているせいか記憶もかなり正確で感心しました。我々も見習うとこが多いと思います。
対談終了後4月からの新会員も加わり普段の倍近くの参加者でカラオケ同好会の例会が盛り上がり、散会後は皆さん近くの上野公園の満開を迎えた桜見物や二次会に向かってゆきました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です