私の趣味「車とドライブ」

投稿者:2442 有川 顯

昭和34年初めて運転免許証を手にしました。「軽自動車運転免許証」

大阪の運転免許試験場で、富士重工業製のスクーター「ラビット」で、コース内を左手による手信号操作(右折・左折・停車)を行いながらコースを走行し、走行途中で不要なブレーキやアクセル操作が後部に取り付けられた表示灯の点灯(赤色・黄色)で、減点の判定が行われたように記憶しています。

その後、昭和36年に「4輪運転免許証」を取得。当時父親が乗っていた車は「三菱500」「三菱600」「三菱コルト1000」「三菱コルト1500」「三菱デリカ」と乗り継いでいました。(休日に借用し、日帰りドライブで頻繁にデートを楽しみました)

2024年現在の運転免許証は

軽自動車分⇒大型自動二輪免許(ハーレーダビッドソンも運転可能)

4輪運転分⇒中型自動車(8トン)

まで運転できるようにグレードアップされています。
運転に関しては、1991年12月から現在まで33年間の無事故無違反を継続中です。

昭和44年:HONDA N360 同年9月に東京勤務となり、東京出張者2名と共に開通して間もない名神/東名高速道路を江東ビルまで走行しました。その後乳飲み子と共に親子3人で3回/年、大阪までの往復を2~3年続けました。

昭和46年:HONDA 1300クーペ ホンダ独自の1300CC空冷高回転のエンジンを搭載しており、前輪駆動で雪道に強く、苗場・湯沢のスキー場までよく行きました。

昭和53年:TOYOTA コロナ1500 2ドアハードトップ ここまでは、新車での購入でしたが、その後は子育て・教育費等々の関係で中古車への乗り換えが続きます。 TOYOTA ビスタ、MAZDA ペルソナ、子供使用のNISSAN マーチ TOYOTA イスト。

平成7年:TOYOTA CROWN 子供達の独立もあり、「いつかはクラウン」の新車購入。平成9年6月仙台へ転勤し、大阪で入院していた母親と義姉の見舞いで、1回/月程度、金曜日の定時終了後、埼玉で女房を乗せ、大阪まで約片道800Kmの走行し、2日後の日曜日夜には仙台へ戻る介護フォローを定年後も続けていました。乗り換え時には走行距離13万Km超でした。

平成15年:定年を機に新しいCROWNに乗り換え。
その後、アクアプリウス2台。

令和2年4月:念願のオープンスポーツカー「GRコペン」に乗り換え。

晴天の休日には車の特徴である「オープン」にして風を感じながら、有料高速道路の周回走行を楽しんでいます。約3時間、180Kmの走行。
昨年4月には、兵庫県でのゴルフの誘いがあり、前日深夜0時に出発、中央道を経由し名神高速道路「多賀サービスエリア」で休憩。併設されている温泉施設での入浴で疲れを癒す。
出発前に、参加者から軽自動車での高速走行を心配され、100Km毎の休憩時にLINEで状況連絡を行いながら走行を続け、生駒市の義兄宅を経由して午後4時、明石市のホテルに到着。前夜祭後、翌日はゴルフを楽しみ、午後3時30分参加者に見送られて出発。阪神高速→名神高速→東名高速→圏央道を通り、午前0時30分に往復約1300Kmのドライブが終了しました。

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