今年(2025年)は、昭和元年(1926年)から100年目に当たる「昭和100年」です。
「昭和の時代」にタイムスリップする場所として、「男はつらいよ」の主人公「寅さん」の故郷として知られる「葛飾柴又」を選定し、「寅さんの世界」を体感するコースです。
梅雨明けして、30度超えの「夏本番の1日目」でしたが、13名の元気な会員が京成柴又駅に集まりました。

■実施日 2025 年7月 19 日(土)
■集合場所 京成柴又駅 改札口
■参加者数 13名
■天候 晴れ
例会コース地図(こちらをクリック)
お配りした資料(こちらをクリック)
【 京成柴又駅改札口で開会 】

冒頭、柿本会長より新たなサークル活動「男の料理教室」への参加要請及び「パソコン教室」計画がある話があり、又有田幹事より横浜の「男の料理教室」の開催状況説明及び参加要請がありました。
続いて辻井例会担当よりコース地図を基に、本日のコース概要ポイントを説明してスタートを切りました。
〈 寅さん像・さくら像 〉
柴又駅広場に、1999年に旅にでる〈寅さん像〉と2017年に見送る〈さくら像〉を建立しました。まるで映画のワンシーンの様です。
〈 寅さん像 〉の左足は触れると幸運を呼ぶとの噂でピカピカはなぜ?
(答えは《寅さん記念館》入口にあります。)
ここで〈 寅さん像 〉の高さに質問あり、実寸大(約165Cm)と答えました。
又〈さくら像〉の左足には「さくら」の文字、右足には、さくら役を演じた倍賞千恵子さんの名前の一文字「ち」が刻まれ、二つに触れると合わせて「さち(幸)」になるという噂もあります。


「映画の碑」&「帝釈天王安置の碑」
参道右側の「映画の碑」は、1969年の第一作「男はつらいよ」の主人公「寅さん」の発する有名な口上、「私、生れも育ちも葛飾柴又です・・・」を読んでみました。
尚、全体のイメージは映画のフイルムを模し、山田洋次監督の直筆です。
参道左側の「帝釈天王安置の碑」は、江戸時代後半の1849(寛永2)年に歌舞伎役者の人々で作られました。


〈 帝釈天(たいしゃくてん)参道 〉
2018年に東京都で初めて「重要文化的景観」に選定されました。
柴又地域の人々の生活、歴史、風土等によって形成される伝統的な情緒や雰囲気を継承する景観地です。

緩やかにカーブする約200m余りの御影石の〈 帝釈天参道 〉には川魚料理屋や団子屋、土産物屋などが立ち並び、昔ながらの趣を今なお色濃く残しています。
又、「男はつらいよ」映画撮影中の寅さん休憩場所として使った高木屋店舗内には「予約席」の表示があります。尚、店内の撮影は松竹大船撮影所のスタジオが使われました。
「柴又の地名由来」
「柴又の地名由来」は、古くは「嶋俣(しままた)」と表記される奈良時代までさかのぼり、「嶋」はデルタ地帯に形成された島状の地形を表し、「俣」とは河川が合流分岐する地点を意味し地形景観から名付けられた地名です。
それから室町時代には「紫俣(しばまた)」となり、又江戸時代にもいろいろと地名変化しましたが今の「柴又」に地名表記が統一されました。

〈 二天門 〉

1896(明治29年)の建立。入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)で、初層左右には四天王のうちの西に「広目天」及び南に「増長天」の二天を安置し、門の名はこれに由来する。
二天像は平安時代の作とされ、門の建立時に同じ日蓮宗の妙国寺(堺市)から寄贈されたものです。
《 柴又帝釈天(たいしゃくてん)〈題経寺〉 》
1629(寛永6)年に2名の僧(禅那陰日忠・題経陰日栄)によって創建された日蓮宗のお寺です。
題経寺の中興の祖とされているのが9世住職の「亨貞院日敬(こうていいんにっきょう)」という僧であり、「帝釈天の板本尊」を再発見した人物であるとされています。
1779(案永8)年本堂改修の際に長い間、所在不明となっていた日蓮上人自刻と伝わる板本尊があったが、長年所在不明になっていました。 それが、日敬の時代に、本堂の修理を行ったところ、棟木の上から発見されました。
この板本尊は片面に「南妙法蓮華経」の題目と法華経薬王品の要文、片面には右手に剣を持った帝釈天像を表したもので、これが発見されたのが1779(安永8)年の「庚申の日」であったことから、60日に一度の「庚申の日」が縁日となります。
それから4年程経った1783(天明3)年、日敬は自ら板本尊を背負って江戸の町を歩き、「天明の大飢饉」に苦しむ人々に拝ませたところ、不思議なご利益があったため、《柴又帝釈天》への信仰が広まっていったという。 《柴又帝釈天》が著名になり、門前町が形成されたのもこの時代からと思われます。
〈 柴又帝釈天境内 〉
境内には、寅さんの産湯に使ったといわれる「御神水」もあります。
又、「瑞龍(ずいりゅう)のマツ」に、毎年2月にマツの根元周りの土を掘って、肥料と日本酒約100本のお神酒あげを行います。(色つやを良くする為です。)


《帝釈堂》

手前の拝殿(1929(昭和4)年の完成)と、奥の内殿(1915(大正4)年の完成)から成り立っています。
内殿には「帝釈天の板本尊」を安置し、左右には四天王のうちの北に「多聞天(毘沙門天)」と東に「持国天」とを安置しています。
尚、寺紋は「カミナリ」です
〈 祖師堂(本堂) 〉
〈 彫刻ギャラリー 〉

法華経に説かれる代表的な「説話10話」を選び視覚化したもので、1922(大正11)年から1934(昭和9)年に至る十数年を費やして、10人の彫刻師が1面ずつ分担製作し浮彫りの10面が完成したものです。
尚、彫刻材は欅(けやき)で板の大きさは、縦幅1.27m、横幅2.27m、厚さ20cmの、「ふすま」大サイズです。
参加者からも「製作に大変な労力を要したですね!」と感心されていました。
〈 邃溪園(すいけいえん) 〉
2000平方メートルの広さを持つ「寺院回廊庭園」で、1926(大正15)年前後に作庭されたと思われます。
東西に長い庭園敷地は、その半分を池泉とし、北西に中島を配置しています。
築山頂部から流れる滝は2段落ちです。
「永井楽山」は、この滝の持つ幽邃な風情からこの庭園を〈邃渓園〉と名付けました。

「亀家(草だんご店)で一休み(クールダウンタイム)」

参道沿いの「亀家」の2階を貸し切りで柴又名物の「草だんご+アイスコーヒー」を頂きました。
おいしかったです!
「昭和100年」の節目の年である事から独断と偏見を持って作成した「歴史年表(昭和100年の歩み特別記念号)」お配りして、作成の経緯と活用策についてお話をさせて頂きました。
柿本会長より「例会参加者の写真」の投稿協力要請と次回の8月特別例会「皇居参観」コースの案内がありました。
《 山本亭 》
〈帝釈天〉の東側の塀沿いに約220m歩くと《 山本亭 》入口に着きました。 この場所は、「 関東大震災(1923年9月1日発生)」まで瓦工場がありました。この瓦(関東で生産量トップ)工場は、1832(天保3)年に創業したものです。
「関東大震災」後の瓦工場跡地には、カメラ部品等の金属加工を扱う合資会社山本工場が工場と居宅を移したものです。
大正末期に建てられ、昭和初期にかけて増改築された《 山本亭 》は、和風と洋風が調和した近代和風建築として葛飾区登録文化財になっている。
米国の日本庭園専門誌で常に上位にランキングされる庭園を眺めながら広間でくつろぐことができます。
( 2024年・日本庭園ランキングは第3位です。 )
東京大空襲に備えた「防空壕」あり部屋から入れる様に作られています。

「スーパー堤防・江戸川の河畔」
《 山本亭 ⦆を出ると道路を挟み急斜面階段の先、建物屋根に「丸いステンドガラス」が見えます。
これは帽子を被った「寅さんの四角張った顔」をイメージしたもので夜間に点灯します。
急斜面の階段を登りきると急に視界が開けて、「スーパー堤防」上に柴又公園、眼下に「江戸川の河畔」が広がり、江戸川の風が吹き抜け清々しい風景が展開します。
( 参加者から「江戸川の川風が印象的でした。」のコメントがあり、又「筑波山が良く見える」との声が聞こえ、カメラ撮影をされる方もおられました。)
柴又公園の休憩所辺りから江戸川の対岸を見ると渡船「矢切の渡し」や国府台(こうのだい)の和洋女子大学等が見渡すことが出来ます。
永井荷風の随筆で、「隅田川その他の川筋にいつまでも昔のままの渡船のあらん事をこいねがう。」と書かれています。尚、「矢切の渡し」は都内唯一の渡船です。
(「寅さんの世界」では、「江戸川」は出会いの場所です。)


《 寅さん記念館・山田洋次ミュージアム 》
《寅さん記念館》に入れば、昭和の高度成長の時代にタイムスリップ
《寅さん記念館》入口を入ると「ようこそ!」の挨拶で映画「男はつらいよ」の世界の始まりです。
〈 帝釈天参道 〉から再現し、存分に楽しむことができる実際の撮影に使用されていたスタジオ「くるまや」のセットを移設されて、映画の中に入り込んだ気分が味わえます。 又、登場人物が作中で使用した小道具や山田洋次監督が撮影中に使用していたディレクターズチェア・メガホンなどを展示。又エンディングコーナーでは歴代のマドンナやポスターが次々と映し出される演出もあります。
《寅さん記念館》入口に寅さん自身が看板取り付けしていますが、真下に「右足の雪駄」が落ちていました。
「左足は落ちない」から柴又駅前の〈 寅さん像 〉の左足に受験生等が触れると、幸運を呼ぶ噂でピカピカになっています。
「男はつらいよ」シリーズ、全50作品の累計鑑賞は約8000万人です
《山田洋次ミュージアム》では「男はつらいよ」以外の映画作品のほか、山田洋次氏の脚本家や演出家など多彩な創作活動を知ることができす





《 寅さん記念館・山田洋次ミュージアム 》を出てすぐに坂道を下ると《 山本亭 》の塀が見える道路に出ます。その道路を約100m位歩くとサミット特設会場の空地の横を経由して、《 柴又帝釈天 》の塀→〈 二天門 〉→〈 帝釈天参道 〉→「柴又駅」に至りました。
【 京成柴又駅改札口で散会 】
これで本日の全行程は終了しました。
30度超えの「夏一番の1日目」でしたが、「今回のコースは屋内見学も多くありましたので、比較的楽なウオーキングが出来ました。」との参加者コメントもありました。
私自身、「昭和の良き時代」で最も記憶に残るのは、昭和38~39年頃の静岡駆け出し時代から、「東京オリンピック開催」を目指して「東海道新幹線」や「首都高速道路」等の交通インフラ整備に突貫工事に走った高度成長時代の頃です。そしてオリンピック開催翌年の「40年不況」に陥り一旦底を打って、経済再加速から1989年(昭和の終わり・平成の始まり)12月バブルピーク至る過程が頭に浮かびました。
(時が過ぎてから振り返れば、1989年はベルリンの壁撤去(冷戦終結)、この後約30年も続く経済低迷時代等、大きな節目の年でした。)
参加して頂いた皆様にお渡しした「お配りした資料」に、クイズを掲載しています。答えを下記に提示します。
クイズ Q(質問)/ A(答え)
Q1 「柴又の地名由来」になった奈良時代の地形景観から名付けられた地名は?
A1 「嶋俣(しままた)」 「嶋」はデルタ地帯に形成された島状の地形を表し、
「俣」と は河川が合流 分岐する地点を意味し地形景観から名付けられた。
Q2 京成柴又駅前の「寅さん像」の左足はなぜピカピカですか?
A2 「落ちない」~受験等で左足に触れると落ちないにつながります。
寅さん記念館・入口で看板取り付け工事行う寅さんの右足の雪駄が地面に
落ちていますが、左足の雪駄身につけたままで落ちていません。
Q3 「瑞龍のマツ」にお酒(一升瓶)約100本を松根元に注入する効果は?
A3 「色つやが良くなる」
松の根の周りを掘ってお神酒や肥料を入れると根が丈夫になり、6月頃の
芽吹きの時期に松葉の色つやが 良くな ります。
文章作成 辻井 勝
写真撮影 柿本政昭
有田知義
伊東哲也
永島富男
辻井 勝
敬称略
〈 ギャラリー 柴又散策 〉




































































〈 ギャラリー 亀家(草だんご店) 〉













