第293回9月例会「中山道蕨宿てくてく散策」を実施しました

記録的な暑さが長く続いた今年の夏ですが、ようやく猛暑が過ぎ去った日となりました。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、この日は秋の彼岸入りの日です。昔の人は的確なことを言ったものと感心するばかりです。涼しさを感じることができるこの日に健康歩こう会9月例会「中山道 蕨宿てくてく散歩」を実施ました。

実施日   2025年 9月20日(土)
参加者   20名
集合場所  JR京浜東北線 蕨 駅 西口
天候    曇り 小雨が降ったりやんだり

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全国の市の中で最も面積が狭く(5.11平方Km)、人口密度は全国の市町村で最も高い(14,769人/ km²)ですが、東京23区全体(15,971 人/km²)ほど高くはない蕨市です。現在の人口は約74,000人。市域のほぼ全域が住宅地となっています。日本の市町村を五十音順に並べると順番が最後になる市町村です。蕨市は埼玉県の南東部に位置し、東京都心から約20Km。地形はほとんどが海抜3~4m前後の平坦地となっています。市制施行は昭和34年。成人式発祥の地としても知られています。江戸時代には蕨宿が置かれ、日本橋を出発して、板橋宿の次、中山道の2番目の宿場町として大きく栄えていました。このような特質を多く持っている蕨市を今回はてくてく散歩します。
社友会に今年入会された鈴木順二さんと蕨市に住んでいたことがある朝子正和さんの2名の方が特別に参加していただき例会はスタートです。
明日は蕨市の「大祭」が行われるとのことで町のあちこちで、準備が行われている中でのウォーキングでした。

蕨駅開設記念碑

午後1時に予定通りスタートしようとしましたが、心配した小雨がパラパラと降ってきました。持参した傘を出そうか、そのまま歩こうかと迷う程度の小雨です。
駅前西口ロータリーに記念碑があります。 東北本線(上野~青森駅)は明治24年(1891)上野~青森間の全線が開通しました。この2年後の明治26年(1893年)に蕨駅が開設されました。この時はまだ、上野東京駅間は開通しておらず、東京駅が開業されるより32年も早く蕨駅は開業しました。

蕨城址・成年式発祥の地記念像

蕨城は、南北朝時代に室町幕府の渋川氏が館を構えたことから始まりました。その後、大永4年(1524)に北条氏綱によって攻められたことで落城し、永禄10年(1567)に渋川氏が戦死したことに伴い、滅亡したとされています。また、江戸時代初期には徳川将軍家が、鷹狩用の休息地の御殿としても利用された歴史があります。
城址公園は市民の憩いの広場となっていますが、この一角に「成年式発祥の地」の碑があります。先の大戦で蕨は3回の空襲を受け、被災家屋約400戸、死者は50名に達するという大きな被害を受けました。昭和21年(1946)若者たちを励まそうと、全国に先駆けて「成年式(成人式)」が行われましたが、蕨市では今でも「成年式」の名称で20歳の祝典を開催しているとのことです。ここでもまた、日本最初と自慢できる蕨市です。

和楽備神社 

蕨城址公園に隣接して和楽備神社があります。蕨を所領とした渋川氏が蕨城の守り神として八幡神を勧請したのが、神社の始まりです。
明治44年(1911)、町内にあった18社を「八幡社」に合祀して「和楽備神社」と改称しています。万葉仮名の表現を用いて「和楽備神社」とされました。現社殿は、平成9年に再建されたものです。

一本杉塚

蕨城主渋川氏関係の戦死者・鎧や兜などを葬った塚などとも伝えられます。塚に一本の杉を植えたことから「一本杉塚」と呼ばれていますが、杉は落雷や老木化などで何代目かの若い杉が一本植わっています。参加者の皆さんが、「これが?」と驚くほどの若い杉でした。

三学院 

三学院とは、京都の新義真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺であり、金亀山(こんきさん)極楽寺三学院が正式名称となります。天正19年(1591年)に、徳川家康より寺領20石を寄進する朱印状が授与され、その後も徳川歴代将軍から同様の朱印状を授与された歴史ある寺院です。ご本尊である木造十一面観音菩薩立像は、像高約180cmで一木造、怒り肩や裳が魚の尾ひれ状の表現をしていることから、平安時代後期に造られたと考えられています。(現在は非公開です)本堂へのお参り、玄奘三蔵法師の遺骨の一部を納めてあるといわれる「仏舎利殿金亀舎利塔」、立派な藤棚などの見学やトイレ休憩なども含めて自由行動としました。子育て地蔵、眼疾(めやみ)地蔵、六地蔵にお参りして三学院を後にします。

中山道蕨宿

 三学院で一休みした一行はいよいよ中山道蕨宿に入ります。
 蕨宿は、中山道の江戸から2番目の宿場町として慶長17年(1612)頃に成立したと考えられています。本陣2軒、脇本陣1軒があり、宿の周囲が用水路で囲まれていることが特徴です。
 中山道旧道に面して「中山道ふれあい広場」があり、かつての蕨宿を思い浮かべることができるように絵が描いてあります。なんと、タイルで描かれた絵となっています。

跳ね橋

蕨宿は平坦な立地条件のためか当時の安全確保のため、周囲を堀が巡らされていて、跳ね橋があったとされます。現存するのは、この場所のみとなっています。夜間、堀に渡している「跳ね橋」を引き上げ盗賊などの侵入を防いでいました。蕨宿にはあと2か所あったと言われていますが残っているのはこの場所のみとなっています。跳ね橋は約2m幅の用水に渡す、幅40㎝くらいの木板です。跳ね橋という名前から、大きな橋を想像していた会員の皆さんは、これが?と驚くような小規模な板橋でした。でも、セキュリテイ確保には大きく役立ったものと思います。

蕨宿本陣跡

蕨宿の本陣は、加兵衛家と五郎兵衛家の2軒が代々勤めていました。宿の中央部に向かい合うようにして配置されていました。
本陣跡は、一部のみを復元されていますが、利用された大名や公家などを一覧にして掲示されています。加兵衛本陣には、老中水野忠邦や松平加賀守ほか多くの西国大名が休泊し、皇女和宮が徳川家茂に嫁ぐために京都から江戸に向かう際も宿泊されました。明治元年(1868年)と明治3年(1870年)には明治天皇も休憩に利用されたそうです。

蕨市立歴史民俗資料館

蕨市立歴史民俗資料館では、古くから中山道の宿場町として発展した蕨宿の歴史や、当時の人々の暮らしについての資料が展示されています。再現された蕨宿本陣の内部・旅籠・商家などを見ることができ、織物業で使用されていた機織り機などの道具も展示されています。しかし、訪れた日は展示の入れ替え時期で、主な展示は撤去されていました、蕨宿に関する展示は入れ替えの対象ではないようでそのまま展示されていましたので、みなさんは蕨宿関連の展示を見学していました。レプリカですが、徳川家康が三学院に二十石を与えるとの朱印状もあり、皆さんは興味深く展示に見入っておられました。

見学を終えて次に向かう際雨足が少し激しくなりましたが、傘をさしてのウォーキングとなりました。

蕨歴史民俗資料館 分館

明治時代に織物の買継商をしていた家を蕨市が買い取り、分館として公開しています。
建物は、木造平屋寄棟造り。中山道に面した店舗の部分は、明治20年(1887)に建てられたものです。木造平屋寄棟造りの建物で、手入れの行き届いた庭園を望む客間は回り廊下で囲まれており、機織物の町として栄えた蕨の様子を感じることができます。別館に到着しましたが、閉館時間間際だったので、ゆっくり見学することができませんでした。残念な思いをされたか参加者のみなさんも多くありました。

宝樹院

臨済宗の「金峰山宝樹院」というお寺ですが、蕨城の城主だった渋川氏の菩提寺となっています。本尊は地蔵菩薩です。渋川公とその夫人の供養塔がありますが、渋川公の250忌の時に、元家臣の子孫たちが創立されたそうです。


これで、本日予定の見学場所は終了です。ゴール地点の蕨駅に向かいます。駅までの途中、地元に詳しい朝子さんの案内で、地元では有名な和菓子屋さんに立ち寄りました。参加者はそれぞれにお土産を購入しておられました。和菓子屋さんでは急に買い物客が押し寄せたことで驚いておられました。突然の訪問でご迷惑をおかけしました。

蕨駅では、来月の予定などの案内があり、解散となり、懇親会参加者は、懇親会会場に向かいました。懇親会では久しぶりに会う仲間もいて懇親会は盛り上がったのは言うまでもありません。

健康歩こう会10月例会のご案内
◆ 2025年10月25日(第4土曜日)
◆ 「川崎生田緑地 古民家園と宙の散歩」
◆ 集合場所 小田急小田原線 向ヶ丘遊園駅南口
◆ 集合時刻 午後12時30分
◆ 参加費用 1,000円
  生年月日が確認できる証明書を持参ください(免許証、マイナンバーカードなど)
◆ 懇親会費用 懇親会参加者は上記の参加費に加え3,500円
◆ それほど歩かない優しいコースとなっています。長く歩くのは苦手というかたも
  お気軽に参加ください。
◆ 参加申し込みは、社友会ホームページ又はFAXで10月17日まで事務局へ。

文章作成    柿本政昭
写真撮影     辻井勝 
        込山廣明
        大塚正敏
        伊東哲也
        柿本政昭

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